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『一代聖教大意』


(★86㌻)
           随信行 鈍根
              一、見道に二
                    随法行 利根
    正と云ふ事なり         一、信解    鈍根
  七聖に三 二、修道に三 
                    二、見得   利根
                    三、身証 利鈍に亘る
                   阿羅漢   
              三、無学道に二
                    慧解脱    鈍根
                    倶解脱    利根
  見思の煩悩を断ずる者を聖と云ふ。此の聖人に三道あり。見道とは見思の内の見惑を断じ尽くす。此の見惑を尽くす人をば初果の聖者と申す。此の人は欲界の人天には生ずるとも、永く地餓畜修の四悪趣には堕ちず。天台云はく「見惑を破するが故に四悪趣を離る」文。此の人は未だ思惑を断ぜず、貪瞋癡身に有り。貪欲あるが故に妻を帯す。而れども他人の妻を犯さず。信恚あれども物を殺さず。鋤を以て地をすけば虫自然に四寸を去る。愚癡なる故に我が身初果の聖者とは知らず。婆娑論に云はく「初果の聖者は妻を八十一度一夜に犯す」取意。 天台の解釈に云はく「初果、地を耕すに虫四寸を離るゝは道共の力なりと。第四果の聖者阿羅漢を無学と云ひ、亦は不生と云ふ。永く見思を断尽して三界六道に此の生の尽きて後は生ずべからず。見思の煩悩無きが故なり」と。又此の教の意は三界六道より外に処を明かさゞれば外の生処有りと知らず。身に煩悩有りとも知らず、又生因無く但灰身滅智と申して身も心もうせ虚空の如く成るべしと習ふ。法華経にあずば永く仏になるべからずと云ふは二乗是なり。此の経の修行の時節は、声聞は三生 鈍根 六十劫 利根。 又一類の最上利根の声聞は一生の内に阿羅漢の位に登る事有り。縁覚は四生 鈍根 百劫 利根。 菩薩は一向凡夫にて見思を断ぜず。而も四弘誓願を発こし、六度万行を修し、
 
 

平成新編御書 ―86㌻―

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