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『一代聖教大意』


(★97㌻)
  日本の伝教大師比叡山を建立の時、根本中堂の地を引き給ひし時、地中より舌八つある鑰を引き出だしたりき。此の鑰を持って入唐の時に、天台大師より第七代妙楽大師の御弟子道邃和尚に値ひ奉りて天台の法門を伝へし時、天機秀発の人たりし間、道邃和尚悦びて天台の造り給へる十五の経蔵を開き見せしめ給ひしに、十四を開きて一の蔵を開かず。其の時伝教大師云はく、師、此の一蔵を開き給へと請ひ給ひしに、邃和尚の云はく、此の一蔵は開くべき鑰無し。天台大師自ら出世して開き給ふべし云云。其の時伝教大師日本より随身の鑰を以て開き給ひしに、此の経蔵開きたりしかば経蔵の内より光室に満ちたりき。其の光の本を尋ぬれば此の一念三千の文より光を放ちたりしなり。ありがたかりし事なり。其の時邃和尚は返りて伝経大師を礼拝し給ひき、天台の後身と云云。依って天台の経蔵の所釈は遺り無く日本に亘りしなり。天台大師の御自筆の観音経、章安大師の自筆の止観、今比叡山の根本中堂に収めたり。
         一 自性  自力  迦毘羅外道
         二 他性  他力  漚樓僧伽外道
 四性計
         三 共性  共力  勒娑婆外道
         四 無因性 無因力 自然外道
  外道に三人あり、一には仏法外の外道 九十五種の外道、 二には学仏法成の外道 小乗、 三には附仏法の外道 妙法を知らざる大乗の外道なり。
  今の法華経は自力も定めて自力にあらず、十界の一切衆生を具する自なる故に。我が身に本より自の仏界、一切衆生の他の仏界我が身に具せり。されば今仏に成るに新仏にあらず。又他力も定めて他力に非ず、他仏も我等凡夫の自ら具せる故に、又他仏が我等が如き自に現同するなり。共と無因とは略す。法華経已前の諸経は十界互具を明かさゞれば、仏に成らんと願ふには必ず九界を厭ふ、九界を仏界に具せざる故なり。
 
 

平成新編御書 ―97㌻―

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