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『一代聖教大意』


(★98㌻)
 されば必ず悪を滅し煩悩を断じて仏には成ると談ず、凡夫の身を仏に具すと云はざるが故に。されば人天、悪人の身をば失ひて仏に成ると申す。此をば妙楽大師は厭離断九の仏と名づく。されば爾前の経の人々は仏の九界の形を現ずるをば、但仏の不思議の神変と思ひ、仏の身に九界が本よりありて現ずるとは云はず。されば実を以てさぐり給ふに法華経已前には但権者の仏のみ有りて、実の凡夫が仏に成りたりける事は無きなり。煩悩を断じて九界を厭ひて仏に成らんと願ふは、実には九界を離れたる仏は無き故に。往生したる実の凡夫も無し、人界を離れたる菩薩界も無き故に。但法華経の仏の、爾前にして十界の形を現じて、所化とも能化とも、悪人とも善人とも外道とも云はれしなり。実の悪人・善人・外道・凡夫は方便の権を行じて真実の教とうち思ひなしてすぎし程に、法華経に来たりて方便にてありけり、実には見思無明も断ぜざりけり、往生もせざりけりなんど覚知するなり。一念三千は別に委しく書くべし。
  此の経には二妙あり。釈に云はく「此の経は唯二妙を論ず」と。一には相待妙・二には絶待妙なり。相待妙の意は、前四時の一代聖教に法華経を対して爾前と之を嫌ひ、爾前をば当分と云ひ法華を跨節と申す。絶待妙の意は、一代聖教は即ち法華経なりと開会す。又法華経に二事あり。一には所開、二には能開なり。開示悟入の文、或は皆已成仏道等の文、一部八巻二十八品六万九千三百八十四字、一々の字の下に皆妙の文字あるべし。此能開の妙なり。此の法華経は知らずして習ひ談ずる物は但爾前経の利益なり。阿含経の開会の文は、経に云はく「我が此の九部の法は衆生に随順して説く、大乗に入るに為れ本なり」云云。華厳経開会の文は「一切世間の天人及び阿修羅は皆謂へり今の釈迦牟尼仏」等文。般若経開会の文は安楽行品の十八空の文なり。観経等の往生安楽開会の文は 「此に於て命終して即ち安楽世界に往く」等文。散善開会の文は「一たび南無仏と称せし皆已に仏道を成じき」文。一切衆生開会の文は「今此の三界は皆是我が有なり。其の中の衆生は悉く是吾が子なり」と。
 
 

平成新編御書 ―98㌻―

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