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『一念三千理事』


(★100㌻)
 
 №0015  一念三千理事  (正嘉二年  三七歳)
  十二因縁図
  問ふ、流転の十二因縁とは何等ぞや。答ふ、一には無明、倶舎に云はく「宿惑の位は無明なり」文。無明とは昔愛欲の煩悩起こりしを云ふなり。男は父に瞋りを成して母に愛を起こす。女は母に瞋りを成して父に愛を起こすなり。倶舎の第九に見えたり。二には行、倶舎に云はく「宿の諸業を行と名づく」文。昔の造業を行とは云ふなり。業に二有り。一には牽引の業なり。我等が正しく生を受くべき業を云ふなり。二には円満の業なり。余の一切の造業なり。所謂足を折り手を切る先業を云ふなり。是は円満の業なり。三には識、倶舎に云はく「識とは正しく生を結する蘊なり」文。正しく母の腹の中に入る時の五蘊なり。五蘊とは色受想行識なり。亦五陰とも云ふなり。四には名色、倶舎に云はく「六処の前は名色なり」文。五には六処、倶舎に云はく「眼等の根を生ずるより三和の前は六処なり」文。六処とは眼耳鼻舌身意の六根出来するを云ふなり。六には触、倶舎に云はく「三受の因の異なるに於て未だ了知せざるを触と名づく」文。火は熱しとも知らず、水は寒しとも知らず、刀は人を切る物とも知らざる時なり。七には受、倶舎に云はく「婬愛の前に在るは受なり」文。寒熱を知って、未だ婬欲を発こさゞる時なり。八には愛、倶舎に云はく「資具と婬とを貪るは愛なり」文。女人を愛して婬欲等を発こすを云ふなり。九には取、倶舎に云はく「諸の境界を得んが為に、遍く馳求するを取と名づく」文。今世に有る時、世間を営みて他人の物を貪り取る時を云ふなり。十には有、倶舎に云はく「有は謂はく正しく能く当有の果を牽く業を造る」文。未来に又此くの如く生を受くべき業を造るを有とは云ふなり。十一には生、倶舎に云はく「当の有を結するを生と名づく」文。  

平成新編御書 ―100㌻―

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