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『十法界明因果抄』


(★216㌻)
 小乗阿含経の二乗の瓦器戒、華厳・方等・般若・観経等の歴劫菩薩の金銀戒の行者、法華経に至りて互ひに和会して一同と成る。所以に人天の楊葉戒の人は、二乗の瓦器・菩薩の金銀戒を具し、菩薩の金銀戒に人天の楊葉・二乗の瓦器を具す。余は以て知んぬべし。三悪道の人は現身に於て戒無し。過去に於て人天に生れし時、人天の楊葉・二乗の瓦器・菩薩の金銀戒を持ち、退して三悪道に堕す。然りと雖も其の功徳未だ失せずして之有り。三悪道の人、法華経に入る時、其の戒之を起こす。故に三悪道にも亦十界を具す。故に爾前の十界の人、法華経に来至すれば皆持戒なり。故に法華経に云はく「是を持戒と名づく」文。安然和尚の広釈に云はく「法華に云はく、能く法華を説く是を持戒と名づく」文。爾前経の如く師に随ひて戒を持せず、但此の経を信ずるが即ち持戒なり。爾前の経には十界互具を明かさず。故に菩薩無量劫を経て修行すれども、二乗・人天等の余戒の功徳無く、但一界の功徳を成ず。故に一界の功徳を以て成仏を遂げず、故に一界の功徳も亦成ぜず。爾前の人法華経に至りぬれば余界の功徳を一界に具す、故に爾前の経即ち法華経なり、法華経即ち爾前の経なり。法華経は爾前の経を離れず、爾前の経は法華経を離れず、是を妙法と言ふ。此の覚り起こりて後は、行者、阿含小乗経を読むも即ち一切の大乗経を読誦し法華経を読む人なり。故に法華経に云はく「声聞の法を決了すれば是諸経の王なり」文。阿含経即ち法華経と云ふ文なり。「一仏乗に於て分別して三と説く」文。華厳・方等・般若・即ち法華経と云ふ文なり。「若し俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも皆正法に順ず」文。一切の外道・老子・孔子の経は、即ち法華経と云ふ文なり。梵網経等の権大乗の戒と法華経の戒と多くの差別あり。一には彼の戒は二乗七逆の者を許さず。二には戒の功徳に仏果を具せず。三には彼は歴劫修業の戒なり。是くの如き等多くの失有り。法華経に於ては二乗七逆の者を許す上、博地の凡夫一生の中に仏位に入り、妙覚に至りて因果の功徳を具するなり。
  四月二十一日                        日蓮花押
 

平成新編御書 ―216㌻―

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