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『唱法華題目抄』


(★232㌻)
 名をしらず。其の上寿量品は法華経八箇年の内にも名を秘し給ひて最後にきかしめ給ひき。末代の凡夫には左右なく如何がきかしむべきとおぼゆる処を、妙楽大師釈して云はく「仏世は当機の故に簡ぶ、末代は結縁の故に聞かしむ」と釈し給へり。文の心は仏在世には仏一期の間、多くの人不退の位にのぼりぬべき故に法華経の名義を出だして謗ぜしめず、機をこしらへて之を説く。仏滅後には当機の衆は少なく結縁の衆多きが故に、多分に就いて左右なく法華経を説くべしと云ふ文なり。是体の多くの品あり。又末代の師は多くは機を知らず。機を知らざらんには強ひて但実教を説くべきか。されば天台大師の釈に云はく「等しく是見ざらんは、但大を説くに咎無し」文。文の心は機をも知らざれば大を説くに失なしと云ふ文なり。又時の機を見て説法する方もあり。皆国中の諸人権経を信じて実経を謗じ強ちに用ひざれば、弾呵の心をもて説くべきか。時に依って用否あるべし。
  問うて云はく、唐土の人師の中に、一分一向に権大乗に留まりて実経に入らざる者はいかなる故か候。答へて云はく、仏世に出でましまして先ず四十余年の権大乗・小乗の経を説き、後には法華経を説いて言はく「若以小乗化乃至於一人、我則堕慳貪、此事為不可」文。文の心は、仏但爾前の経計りを説いて法華経を説き給はずば、仏慳貪の失ありと説かれたり。後に嘱累品にいたりて、仏右の御手をのべて三たび諫めをなして、三千大千世界の外八方四百万億那由他の国土の諸菩薩の頂をなでて、未来には必ず法華経を説くべし。若し機たへずば、余の深法の四十余年の経を説いて機をこしらへて法華経を説くべしと見えたり。後に涅槃経に重ねて此の事を説いて、仏滅後に四依の菩薩ありて法を説くに又法の四依あり。実経をつひに弘めずんば天魔としるべきよしを説かれたり。故に如来の滅後、後の五百年、九百年の間に出で給ひし竜樹菩薩・天親菩薩等、遍く如来の聖教を弘め給ふに、天親菩薩は先に小乗の説一切有部の人、倶舎論を造りて阿含十二年の経の心を宣べて一向に大乗の義理を明かさず、次に十地論・摂大乗論・釈論等を造りて四十余年の権大乗の心を宣べ、後に仏性論・法華論等を造りて粗実大乗の義を宣べたり。
 

平成新編御書 ―232㌻―

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