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『立正安国論』


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 更に聖人を罵るや。毛を吹いて疵を求め、皮を剪りて血を出だす。昔より今に至るまで此くの如き悪言未だ見ず、惶るべく慎むべし。罪業至って重し、科条争でか遁れん。対座猶以て恐れ有り、杖を携へて則ち帰らんと欲す。
  主人咲み止めて曰く、辛きを蓼葉に習ひ臭きを溷厠に忘る。善言を聞いて悪言と思ひ、謗者を指して聖人と謂ひ、正師を疑って悪侶に擬す。其の迷ひ誠に深く、其の罪浅からず。事の起こりを聞け、委しく其の趣を談ぜん。釈尊説法の内、一代五時の間先後を立てゝ権実を弁ず。而るに曇鸞・道綽・善導既に権に就いて実を忘れ、先に依って後を捨つ。未だ仏教の淵底を探らざる者なり。就中法然其の流れを酌むと雖も其の源を知らず。所以は何。大乗経六百三十七部・二千八百八十三巻、並びに一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て、捨閉閣抛の字を置いて一切衆生の心を薄す。是偏に私曲の詞を展べて全く仏経の説を見ず。妄語の至り、悪口の科、言ひても比無く、責めても余り有り。人皆其の妄語を信じ、悉く彼の選択を貴ぶ。故に浄土の三経を崇めて衆経を抛うち、極楽の一仏を仰いで諸仏を忘る。誠に是諸仏諸経の怨敵、聖僧衆人の讎敵なり。此の邪教広く八荒に弘まり周く十方に遍す。仰近年の災を以て往代を難ずるの由強ちに之を恐る。聊先例を引いて汝の迷ひを悟すべし。止観の第二に史記を引いて云はく「周の末に被髪袒身にして礼度に依らざる者有り」と。弘決の第二に此の文を釈するに、左伝を引いて曰く「初め平王の東遷するや、伊川に被髪の者の野に於て祭るを見る。識者の曰く、百年に及ばざらん。其の礼先ず亡びぬ」と。爰に知んぬ、徴前に顕はれ災ひ後に致ることを。「又阮籍逸才にして蓬頭散帯す。後に公卿の子孫皆之に教ひて、奴苟して相辱しむる者を方に自然に達すといひ、撙節兢持する者を呼んで田舎と為す。司馬氏の滅ぶる相と為す」已上。
  又慈覚大師の入唐巡礼記を案ずるに云はく「唐の武宗皇帝の会昌元年、勅して章敬寺の鏡霜法師をして諸寺に於て弥陀念仏の教を伝へしむ。
 

平成新編御書 ―242㌻―

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