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『立正安国論』


(★244㌻)
  客則ち和らぎて曰く、経を下し僧を謗ずること一人には論じ難し。然れども大乗経六百三十七部・二千八百八十三巻、並びに一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て、捨閉閣抛の四字に載す。其の詞勿論なり、其の文顕然なり。此の瑕瑾を守りて其の誹謗を成せども、迷ふて言ふか、覚りて語るか。賢愚弁たず、是非定め難し。但し災難の起こりは選択に因るの由、盛んに其の詞を増し、弥其の旨を談ず。所詮天下泰平国土安穏は君臣の楽ふ所、土民の思ふ所なり。夫国は法に依って昌え、法は人に因って貴し。国亡び人滅せば仏を誰か崇むべき、法を誰か信ずべきや。先ず国家を祈りて須く仏法を立つべし。若し災を消し難を止むるの術有らば聞かんと欲す。
  主人の曰く、余は是頑愚にして敢へて賢を存せず。唯経文に就いて聊所存を述べん。抑治術の旨、内外の間、其の文幾多ぞや。具に挙ぐべきこと難し。但し仏道に入りて数愚案を廻らすに、謗法の人を禁めて正道の侶を重んぜば、国中安穏にして天下泰平ならん。
  即ち涅槃経に云はく「仏の言はく、唯一人を除きて余の一切に施さば皆讃歎すべし。純陀問ふて言はく、云何なるをか名づけて唯除一人と為す。仏の言はく、此の経の中に説く所の如きは破戒なり。純陀復た言はく、我今未だ解せず、唯願はくは之を説きたまへ。仏純陀に語りて言はく、破戒とは謂はく一闡提なり。其の余の在所一切に布施するは皆讃歎すべし、大果報を獲ん。純陀復問ひたてまつる。一闡提とは其の義如何。仏の言はく、純陀、若し比丘及び比丘尼・優婆塞・優婆夷有りて麁悪の言を発し、正法を誹謗せん。是の重業を造りて永く改悔せず、心に懺悔無からん。是くの如き等の人を名づけて一闡提の道に趣向すと為す。若し四重を犯し五逆罪を作り、自ら定めて是くの如き重事を犯すと知れども、而も心に初めより怖畏・懺悔無く、肯へて発露せず。彼の正法に於て永く護惜建立の心無く、毀呰軽賤して言に禍咎多からん。是くの如き等の人を亦一闡提の道に趣向すと名づく。唯此くの如き一闡提の輩を除きて其の余に施さば一切讃歎すべし」と。                
 

平成新編御書 ―244㌻―

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