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『四恩抄』


(★266㌻)
 始めに此の文を見候ひし時は、さしもやと思ひ候ひしに、今こそ仏の御言は違はざりけるものかなと、殊に身に当たって思ひ知られて候へ。
  日蓮は身に戒行なく心に三毒を離れざれども、此の御経を若しや我も信を取り、人にも縁を結ばしむるかと思ひて随分世間の事おだやかならんと思ひき。世末になりて候へば、妻子を帯して候比丘も人の帰依をうけ、魚鳥を服する僧もさてこそ候か。日蓮はさせる妻子をも帯せず、魚鳥をも服せず、只法華経を弘めんとする失によりて、妻子を帯せずして犯僧の名四海に満ち、螻蟻をも殺さゞれども悪名一天に弥れり。恐らくは在世に釈尊を諸の外道が毀り奉りしに似たり。是偏に法華経を信ずる事の、余人よりも少し経文の如く信をもむけたる故に、悪鬼其の身に入ってそねみをなすかとをぼへ候へば、是程の卑賤無智無戒の者の、二千余年已前に説かれて候法華経の文にのせられて、留難に値ふべしと仏記しをかれまいらせて候事のうれしさ、申し尽くし難く候。
  此の身に学文つかまつりし事、やうやく二十四五年にまかりなるなり。法華経を殊に信じまいらせ候ひし事は、わづかに此の六七年よりこのかたなり。又信じて候ひしかども懈怠の身たる上、或は学文と云ひ、或は世間の事にさえられて、一日わづかに一巻・一品・題目計りなり。去年の五月十二日より今年正月十六日に至るまで、二百四十余日の程は、昼夜十二時に法華経を修行し奉ると存じ候。其の故は法華経の故にかゝる身となりて候へば、行住坐臥に法華経を読み行ずるにてこそ候へ。人間に生を受けて是程の悦びは何事か候べき。凡夫の習ひ我とはげみて、菩提心を発こして後世を願ふといへども、自ら思ひ出だし十二時の間に一時二時こそははげみ候へ。是は思ひ出ださぬにも御経をよみ、読まざるにも法華経を行ずるにて候か。無量劫の間六道四生を輪回し候ひけるには、或は謀叛をおこし、強盗夜打等の罪にてこそ国主より禁をも蒙り流罪死罪にも行なはれ候らめ。是は法華経を弘むるかと思ふ心の強盛なりしに依って、悪業の衆生に讒言せられて、かゝる身になりて候へば、
 

平成新編御書 ―266㌻―

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