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『四恩抄』


(★268㌻)
 日月光を失ひ、天竜雨をくださず、地神地味を減ぜん時、草木根茎枝葉華果薬等の七味も失はん時、十善の国王も貪瞋癡をまし、父母六親に孝せずしたしからざらん時、我が弟子、無智無戒にして髪ばかりを剃りて守護神にも捨てられて、活命のはかりごとなからん比丘比丘尼の命のさゝへとせんと誓ひ給へり。又果地の三分の功徳、二分をば我が身に用ひ給ひ、仏の寿命百二十まで世にましますべかりしが八十にして入滅し、残る所の四十年の寿命を留め置きて我等に与へ給ふ恩をば四大海の水を硯の水とし、一切の草木を焼いて墨となして一切のけだものゝ毛を筆とし、十方世界の大地を紙と定めて注し置くとも争でか仏の恩を報じ奉るべき。法の恩を申さば 法は諸仏の師なり。諸仏の貴き事は法に依る。されば仏恩を報ぜんと思はん人は法の恩を報ずべし。次に僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によりて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。故に大集経に云はく「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」と説かれたり。然れば僧の恩を報じ難し。されば三宝の恩を報じ給ふべし。古の聖人は雪山童子・常啼菩薩・薬王大士・普明王等、此等は皆我が身を鬼のうちがひとなし、身の血髄をうり、臂をたき、頭を捨て給ひき。然るに末代の凡夫、三宝の恩を蒙りて三宝の恩を報ぜず、いかにしてか仏道を成ぜん。然るに心地観経・梵網経等には仏法を学し円頓の戒を受けん人は必ず四恩を報ずべしと見えたり。
  某は愚癡の凡夫血肉の身なり。三惑一分も断ぜず。只法華経の故に罵詈毀謗せられて刀杖を加へられ、流罪せられたるを以て、大聖の臂を焼き、髄をくだき、頭をはねられたるになぞらへんと思ふ。是一の悦びなり。
  第二に大なる歎きと申すは、法華経第四に云はく「若し悪人有って不善の心を以て、一劫の中に於て現に仏前に於て常に仏を毀罵せん、其の罪尚軽し。若し人一つの悪言を以て在家出家の法華経を読誦する者を毀呰せん其の罪甚だ重し」等云云。此等の経文を見るに、信心を起こし、身より汗を流し、
 

平成新編御書 ―268㌻―

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