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『月水御書』


(★303㌻)
十方の諸仏、無量曠劫よりこのかた持ち来たり給へる不妄語戒忽ちに破れて、調達が虚誑罪にも勝れ、瞿伽利が大妄語にも超えたらん。争でかしかるべきや。法華経を持つ人憑もしく有りがたし。但し一生が間一悪をも犯さず、五戒・八戒・十戒・十善戒・二百五十戒・五百戒・無量の戒を持ち、一切経をそらに浮かべ、一切の諸仏菩薩を供養し、無量の善根をつませ給ふとも、法華経計りを御信用なく、又御信用はありとも諸経諸仏にも並べて思し食し、又並べて思し食さずとも、他の善根をば隙なく行じて時々法華経を行じ、法華経を用ひざる謗法の念仏者なんどにも語らひをなし、法華経を末代の機に叶はずと申す者を科とも思し食さずば、一期の間行じさせ給ふ処の無量の善根も忽ちにうせ、並びに法華経の功徳も且く隠れさせ給ひて、阿鼻大城に堕ちさせ給はん事、雨の空にとゞまらざるが如く、峰の石の谷へころぶが如しと思し食すべし。十悪五逆を造れる者なれども、法華経に背く事なければ、往生成仏は疑ひなき事に侍り。一切経をたもち、諸仏菩薩を信じたる持戒の人なれども、法華経を用ひる事なければ、悪道に堕つる事疑ひなしと見えたり。予が愚見をもて近来の世間を見るに、多くは在家・出家、誹謗の者のみあり。
  但し御不審の事、法華経は何れの品も先に申しつる様に愚かならねども、殊に二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品にて侍り。余品は皆枝葉にて候なり。されば常の御所作には、方便品の長行と寿量品の長行とを習ひ読ませ給ひ候へ。又別に書き出だしてもあそばし候べく候。余の二十六品は身に影の随ひ、玉に財の備はるが如し。寿量品・方便品を読み候へば、自然に余品はよみ候はねども備はり候なり。薬王品・提婆品は女人の成仏往生を説かれて候品にては候へども、提婆品は方便品の枝葉、薬王品は方便品と寿量品の枝葉にて候。されば常には此の方便品・寿量品の二品をあそばし候ひて、余の品をば時々御いとまのひまにあそばすべく候。
  又御消息の状に云はく、日ごとに三度づつ七つの文字を拝しまいらせ候事と、
 

平成新編御書 ―303㌻―

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