←次へ  TOPへ↑  前へ→  

『法華真言勝劣事』


(★307㌻)
 但弘法一人に非ざるか。但し澄観始見今見の文に依って華厳経は法華経より勝ると料簡する才覚に於ては、天台智者大師涅槃経の「是経出世乃至如法華中」の文に依って法華・涅槃斉等の義を存するのみに非ず、又勝劣の義を存すれば此の才覚を学びて此の義を存するか。此の義若し僻案ならば空海の義も又僻見なるべきなり。天台真言の書に云はく「法華経と大日経とは広略の異なり。略とは法華経なり。大日経斉等の理なりと雖も印・真言之を略する故なり。広とは大日経なり。極理を説くのみに非ず印・真言をも説ける故なり。又法華経と大日経とに同劣の二義あり。謂はく理同事劣なり。又二義あり。一には大日経は五時の摂なり。是与の義なり。二には大日経は五時の摂に非ず。是奪の義なり」と。又云はく「法華経は譬へば裸形の猛者の如し。大日経は甲冑を帯せる猛者なり」等云云。又云はく「印・真言無きは其の仏を知るべからず」等云云。
  日蓮不審して云はく、何を以て之を知る、理は法華経と大日経と斉等なりと云ふ事を。答へて云はく、疏と義釈並びに慈覚・智証等の所釈に依るなり。求めて云はく、此等の三蔵大師等は又何を以て之を知るや、理は斉等の義なりと。答へて云はく、三蔵大師等をば疑うべからず等云云。難じて云はく、此の義論議の法に非ざる上仏の遺言に違背す。慥かなる経文を出だすべし。若し経文無くんば義分無かるべし如何。答ふ、威儀形色経・瑜祗経・観智儀軌等なり。文は口伝すべし。問うて云はく、法華経に印・真言を略すとは仏よりか経家よりか訳者よりか。答へて云はく、或は仏と云ひ或は経家と云ひ或は訳者と云ふなり。不審して云はく、仏より真言・印を略して法華経と大日経と理同事勝の義之有りといはゞ此の事何れの経文ぞや。文証の所出を知らざる我意の浮言ならば之を用うべからず。若し経家訳者より之を略すといはゞ仏説に於ては何ぞ理同事勝の訳を作るべきや。法華経と大日経とは全体斉等なり。能く能く子細を尋ぬべきなり。
  私に日蓮云はく、威儀形色経・瑜祗経等の文の如くんば仏説に於ては法華経に印・真言有るか。
 

平成新編御書 ―307㌻―

provided by