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『法華真言勝劣事』


(★308㌻)
 若し爾らば経家・訳者之を略せるか。六波羅密経の如きは経家之を略す。旧訳の仁王経の如きは訳者之を略せるか。若し爾らば天台真言の理同事異の釈は、経家並びに訳者の時より法華経・大日経の勝劣なり。全く仏説の勝劣に非ず。此天台真言の極なり。天台宗の義勢才覚の為に此の義を難ず。天台真言の僻見此くの如し。東寺所立の義勢は且く之を置く。僻見眼前の故なり。抑天台真言宗の所立の理同事勝に二難有り。一には法華経と大日経と理同の義、其の文全く之無し。法華経と大日経と先後如何。既に義釈に二経の前後之を定め畢って法華経は先、大日経は後なりと云へり。若し爾らば大日経は法華経の重説なり流通なり。一法を両度之を説くが故なり。若し所立の如くんば法華経の理を重ねて之を説くを大日経と云ふ。然れば則ち法華経と大日経と敵論の時は大日経の理之を奪って法華経に付くべし。但し大日経の得分は但印・真言計りなり。印契は身業、真言は口業なり。身口のみにして意無くば印・真言有るべからず。手口等を奪って法華経に付けなば手無くして印を結び、口無くして真言を誦せば虚空に印・真言を誦結すべきか如何。裸形の猛者と甲冑を帯せる猛者との譬への事。裸形の猛者の進んで大陣を破ると甲冑を帯せる猛者の退ひて一陣をも破らざるとは何れが勝るゝか。又猛者は法華経なり。甲冑は大日経なり。猛者無くんば甲冑何の詮か之有らん。此は理同の義を難ずるなり。次に事勝の義を難ぜば、法華経には印・真言無く大日経には印・真言之有りと云云。印契・真言の有無に付いて二経の勝劣を定むるに、大日経に印・真言有りて法華経に之無き故に劣ると云はゞ阿含経には世界建立・賢聖の地位是分明なり。大日経には之無し。若し爾らば大日経は阿含経より劣るか。双観経等には四十八願是分明なり。大日経に之無し。般若経には十八空是分明なり。大日経には之無し。此等の諸経に劣ると云ふべきか。又印・真言無くんば仏を知るべからず等云云。今反詰して云はく、理無くんば仏有るべからず。仏無くんば印契・真言一切徒然と成るべし。彼難じて云はく、賢聖並に四十八願等をば印・真言に対すべからず等云云。今反詰して云はく、最上の印・真言之無くば法華経は大日経等より劣るか。
 

平成新編御書 ―308㌻―

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