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『法華題目抄』


(★359㌻)
 堅石をわる者軟草をわるが如し。故に此の経をば妙と云ふなり。
  女人をば内外典に是をそしり、三皇五帝の三墳五典にも諂曲者と定む。されば災ひは三女より起こると云へり。国の亡び人の損ずる源は女人を本とす。内典の中には初成道の大法たる華厳経には「女人は地獄の使ひなり。能く仏の種子を断つ。外面は菩薩に似て内心は夜叉の如し」文。双林最後の大涅槃経には「一切の江河必ず回曲有り。一切の女人必ず諂曲有り」文。又云はく「所有三千界の男子の諸の煩悩合集して一人の女人の業障と為る」等云云。大華厳経の文に「能断仏種子」と説かれて候は、女人は仏になるべき種子をいれり。譬へば大旱魃の時、虚空の中に大雲をこり大雨を大地に下すに、かれたるが如くなる無量無辺の草木花さき菓なる。然りと雖もいりたる種はをひずして、結句雨しげければくちうするが如し。仏は大雲の如く、説教は大雨の如く、かれたるが如くなる草木を一切衆生に譬へたり。仏教の雨に潤ひて五戒・十善・禅定等の功徳を得るは花さき菓なるが如し。雨ふれども、いりたる種のをひずして、かへりてくちうするは、女人の仏教に遇へども、生死をはなれずして、かへりて仏法を失ひ、悪道に堕つるに譬ふ。是を「能断仏種子」とは申すなり。涅槃経の文に、一切の江河のまがれるが如く、女人も又まがれりと説かれたるは、水はやわらかなる物なれば、石山なんどのこわき物にさへられて水の先ひるむゆへに、かしここゝへ行くなり。女人も亦是くの如し。女人の心をば水に譬へたり。心よわくして水の如くなり。道理と思ふ事も男のこわき心に値ひぬればせかれてよしなき方へをもむく。又水にゑがくにとゞまらざるが如し。女人は不信を体とするゆへに、只今さあるべしと見る事も、又しばらくあればあらぬさまになるなり。仏と申すは正直を本とす。故にまがれる女人は仏になるべきにあらず。五障三従と申して五つのさはり三つしたがふ事あり。されば銀色女経には「三世の諸仏の眼は大地に落つとも、女人は仏になるべからず」と説かれ、大論には「清風はとると云ふとも女人の心はとりがたし」と云へり。
 

平成新編御書 ―359㌻―

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