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『聖愚問答抄㊤』


(★387㌻)
 身をかろくして法をおもくするは先聖の教へ、予が存ずるところなり。抑上は非想の雲の上、下は那落の底までも、生をうけて死をまぬかるゝ者やはある。然れば外典のいやしきをしえにも「朝に紅顔有って世路に誇るとも、夕には白骨と為って郊原に朽ちぬ」と云へり。雲上に交はりて雲のびんづらあざやかに、雪のたもとをひるがへすとも、其の楽しみをおもへば夢の中の夢なり。山のふもと、蓬がもとはつゐの栖なり。玉の台・錦の帳も後世の道にはなにかせん。小野小町・衣通姫が花の姿も無常の風にちり、樊・・張良が武芸に達せしも獄卒の杖をかなしむ。されば心ありし古人の云はく「あはれなり 鳥べの山の夕煙 をくる人とて とまるべきかは」「末のつゆ 本のしずくや世の中の をくれさきだつ ためしなるらん」と。先亡後滅の理、始めて驚くべきにあらず。願ふても願ふべきは仏道、求めても求むべきは経教なり。抑汝が云ふところの法門をきけば、或は小乗、或は大乗、位の高下は且く之を置く、還って悪道の業たるべし。
  爰に愚人驚きて云はく、如来一代の聖教はいづれも衆生を利せんが為なり。始め七処八会の莚より終はり跋提河の儀式まで、何れか釈尊の所説ならざる。設ひ一分の勝劣をば判ずとも、何ぞ悪道の因と云ふべきや。聖人云はく、如来一代の聖教に権有り実有り、大有り小有り、又顕密二道相分かち其の品一に非ず。須く其の大途を示して汝が迷ひを悟らしめん。夫三界の教主釈尊は十九歳にして伽耶城を出で、檀特山に篭りて難行苦行し、三十成道の刻みに三惑頓に破し、無明の大夜爰に明けしかば、須く本願に任せて一乗妙法蓮華経を宣ぶべしといへども、機縁万差にして其の機仏乗に堪へず。然れば四十余年に所被の機縁を調へて、後八箇年に至って出世の本懐たる妙法蓮華経を説き給へり。然れば仏の御年七十二歳にして、序分無量義経に説き定めて云はく「我先に道場菩提樹の下に端坐すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提を成ずことを得たり。仏眼を以て一切の諸法を観ずるに宣説すべからず。所以は何。諸の衆生の性欲不同なるを知れり。性欲不同なれば種々に法を説く。
 

平成新編御書 ―387㌻―

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