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『聖愚問答抄㊤』


(★388㌻)
 種々に法を説くこと方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕はさず」文。此の文の意は、仏の御年三十にして寂滅道場菩提樹の下に坐して、仏眼を以て一切衆生の心根を御覧ずるに、衆生成仏の直道たる法華経をば説くべからず。是を以て空拳を挙げて嬰児をすかすが如く、様々のたばかりを以て四十余年が間は、いまだ真実を顕はさずと年紀をさして、青天に日輪の出で、暗夜に満月のかゝるが如く説き定めさせ給へり。此の文を見て何ぞ同じ信心を以て、仏の虚事と説かるゝ法華已前の権教に執著して、めずらしからぬ三界の故宅に帰るべきや。されば法華経の一の巻方便品に云はく「正直に方便を捨てゝ但無上道を説く」文。此の文の意は前四十二年の経々、汝が語るところの念仏・真言・禅・律を正直に捨てよとなり。此の文明白なる上、重ねていましめて第二の巻譬喩品に云はく「但楽って大乗経典を受持し、乃至余経の一偈をも受けざれ」文。此の文の意は年紀かれこれ煩はし、所詮法華経より自余の経をば一偈をも受くべからずとなり。然るに八宗の異義蘭菊に、道俗形を異にすれども、一同に法華経をば崇むる由を云ふ。されば此等の文をばいかゞ弁へたる。正直に捨てよと云ひて余経の一偈をも禁むるに、或は念仏、或は真言、或は禅、或は律、是余経にあらずや。今此の妙法蓮華経とは諸仏出世の本意、衆生成仏の直道なり。されば釈尊は付嘱を宣べ、多宝は証明を遂げ、諸仏は舌相を梵天に付けて皆是真実と宣べ給へり。此の経は一字も諸仏の本懐、一点も多生の助けなり。一言一語も虚妄あるべからず。此の経の禁めを用ひざる者は諸仏の舌をきり賢聖をあざむく人に非ずや。其の罪実に怖るべし。されば二の巻に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ず」文。此の文の意は、若し人此の経の一偈一句をも背かん人は、過去・現在・未来三世十方の仏を殺さん罪と定む。経教の鏡をもて当世にあてみるに、法華経をそむかぬ人は実に以て有りがたし。事の心を案ずるに不信の人尚無間を免れず。況んや念仏の祖師法然上人は、法華経をもて念仏に対して抛てよと云云。五千七千の経教に何れの処にか法華経を抛てよと云ふ文ありや。三昧発得の行者、
 

平成新編御書 ―388㌻―

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