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『聖愚問答抄㊤』


(★389㌻)
 生身の弥陀仏とあがむる善導和尚、五種の雑行を立てゝ、法華経をば千中無一とて、千人持つとも一人も仏になるべからずと立てたり。経文には「若し法を聞くこと有らん者は一として成仏せずということ無し」と談じて、此の経を聞けば十界の依正皆仏道を成ずと見えたり。爰を以て五逆の調達は天王如来の記莂に予かり、非器五障の竜女も南方に頓覚成道を唱ふ。況んや復蛣蜣の六即を立てゝ機を漏らす事なし。善導の言と法華経の文と実に以て天地雲泥せり、何れに付くべきや。就中其の道理を思ふに、諸仏衆経の怨敵、聖僧衆人の讐敵なり。経文の如くならば、争でか無間を免るべきや。
  爰に愚人色を作して云はく、汝賤しき身を以て恣に莠言を吐く。悟りて言ふか、迷ふて言ふか、理非弁へ難し。忝くも善導和尚は弥陀善逝の応化、或は勢至菩薩の化身と云へり。法然上人も亦然なり、善導の後身といへり。上古の先達たる上、行徳秀発し解了底を極めたり。何ぞ悪道に堕ち給ふと云ふや。聖人云はく、汝が言然なり。予も仰いで信を取ること此くの如し。但し仏法は強ちに人の貴賤には依るべからず。只経文を先とすべし。身の賤きをもて其の法を軽んずる事なかれ。有人楽生悪死有人楽死悪生の十二字を唱へし毘摩大国の狐は帝釈の師と崇められ、諸行無常等の十六字を談ぜし鬼神は雪山童子に貴まる。是必ず狐と鬼神との貴きに非ず、只法を重んずる故なり。されば我等が慈父教主釈尊、双林最後の御遺言、涅槃経の第六には依法不依人とて、普賢・文殊等の等覚已還の大薩埵法門を説き給ふとも、経文を手に把らずば用ゐざれとなり。天台大師の云はく「修多羅と合する者は録して之を用ひよ。文無く義無きは信受すべからず」文。釈の意は経文に明らかならんを用ひよ、文証無からんをば捨てよとなり。伝教大師の云はく「仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ」文。前の釈と同意なり。竜樹菩薩の云はく「修多羅に依るは白論なり修多羅に依らざるは黒論なり」文。意は教の中にも法華已前の権経をすてゝ此の経につけよとなり。経文にも論文にも法華に対して諸余の経典を捨てよと云ふ事分明なり。
 

平成新編御書 ―389㌻―

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