←次へ  TOPへ↑  前へ→  

『聖愚問答抄㊤』


(★390㌻)
 然るに開元の録に挙ぐる所の五千七千の経巻に、法華経を捨てよ乃至抛てよと嫌ふことも、又雑行に摂して之を捨てよと云ふ経文も全く無し。されば慥かの経文を勘へ出だして、善導・法然の無間の苦を救はるべし。今世の念仏の行者・俗男・俗女、経文に違するのみならず、又師の教へにも背けり。五種の雑行とて念仏申さん人のすつべき日記、善導の釈之有り。其の雑行とは選択に云はく「第一に読誦雑行とは上の観経等の往生浄土の経を除きて已外、大小乗顕密の諸経に於て、受持・読誦するを悉く読誦雑行と名づく。乃至第三に礼拝雑行とは、上の弥陀を礼拝するを除きて已外、一切諸余の仏菩薩等・及び諸の世天に於て礼拝恭敬するを悉く礼拝雑行と名づく。第四に称名雑行とは、上の弥陀の名号を称するを除きて已外、自余の一切の仏菩薩等・及び諸の世天等の名号を称するを悉く称名雑行と名づく。第五に賛歎供養雑行とは、上の弥陀仏を除きて已外、一切諸余の仏菩薩等、及び諸の世天等に於て賛歎し供養するを悉く賛歎供養雑行と名づく」文。此の釈の意は第一の読誦雑行とは、念仏申さん道俗男女、読むべき経あり、読むまじき経ありと定めたり。読むまじき経は法華経・仁王経・薬師経・大集経・般若心経・転女成仏経・北斗寿命経、ことさらうち任せて諸人読まるゝ八巻の中の観音経、此等の諸経を一句一偈も読むならば、たとひ念仏を志す行者なりとも、雑行に摂せられて往生すべからずと云云。予愚眼を以て世を見るに、設ひ念仏申す人なれども、此の経々を読む人は多く師弟敵対して七逆罪と成りぬ。又第三の礼拝雑行とは、念仏の行者は弥陀三尊より外は上に挙ぐる所の諸仏・菩薩・諸天善神を礼するをば礼拝雑行と名づけ、又之を禁ず。然るを日本は神国として伊奘諾・伊奘册尊此の国を作り、天照太神垂迹御坐して、御裳濯河の流れ久しふして今にたえず、豈此の国に生を受けて此の邪義を用ゆべきや。又普天の下に生まれて三光の恩を蒙りながら、誠に日月星宿を破する事尤も恐れ有り。又第四の称名雑行とは、念仏申さん人は唱ふべき仏菩薩の名あり、唱ふまじき仏菩薩の名あり。唱ふべき仏菩薩の名とは弥陀三尊の名号、唱ふまじき仏菩薩の名号とは釈迦・薬師・大日等の諸仏、
 

平成新編御書 ―390㌻―

provided by