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『聖愚問答抄㊤』


(★405㌻)
 況んや人間閻浮の習ひは露よりもあやうく、芭焦よりももろく、泡沫よりもあだなり。水中に宿る月のあるかなきかの如く、草葉におく露のをくれさきだつ身なり。若し此の道理を得ば後生を一大事とせよ。歓喜仏の末の世の覚徳比丘正法を弘めしに、無量の破戒の此の行者を怨みて責めしかば、有徳国王正法を守る故に、謗法を責めて終に命終して阿閦仏の国に生まれて彼の仏の第一の弟子となる。大乗を重んじて五百人の婆羅門の謗法を誡めし仙予国王は不退の位に登る。憑しいかな、正法の僧を重んじて邪悪の侶を誡むる人、かくの如くの徳あり。されば今の世に摂受を行ぜん人は、謗人と倶に悪道に堕ちん事疑ひ無し。南岳大師の四安楽行に云はく「若し菩薩ありて悪人を将護し治罰すること能はず。乃至其の人命終して諸悪人と倶に地獄に堕せん」と。此の文の意は若し仏法を行ずる人有って、謗法の悪人を治罰せずして観念思惟を専らにして邪正権実をも簡ばず、詐って慈悲の姿を現ぜん人は諸の悪人と倶に悪道に堕つべしと云ふ文なり。今真言・念仏・禅・律の謗人をたゞさず、いつはて慈悲を現ずる人此の文の如くなるべし。
  爰に愚人意を竊かにし言を顕はにして云はく、誠に君を諫め家を正しくする事先賢の教へ本文に明白なり。外典此くの如し、内典是に違ふべからず。悪を見ていましめず謗を知ってせめずば、経文に背き祖師に違せん。其の禁め殊に重し。今より信心を至すべし。但し此の経を修行し奉らん事叶ひがたし。若し其の最要あらば証拠を聞かんと思ふ。聖人示して云はく、今汝の道意を見るに鄭重慇懃なり。所謂諸仏の誠諦得道の最要は只是妙法蓮華経の五字なり。檀王の宝位を退き、竜女が蛇身を改めしも只此の五字の致す所なり。夫以れば今の経は受持の多少をば一偈一句と宣べ、修行の時刻をば一念随喜と定めたり。凡そ八万宝蔵の広きも一部八巻の多きも、只是の五字を説かんためなり。霊山の雲の上、鷲峰の霞の中に、釈尊要を結び地涌付嘱を得ることありしも法体は何事ぞ、只此の要法に在り。天台・妙楽の六千張の疏玉を連ぬるも、道邃・行満の数軸の釈金を並ぶるも、併ら此の義趣を出でず。
 

平成新編御書 ―405㌻―

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