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『聖愚問答抄㊤』


(★406㌻)
 誠に生死を恐れ涅槃を欣ひ信心を運び渇仰を至さば、遷滅無常は昨日の夢、菩提の覚悟は今日のうつゝなるべし。只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪や有るべき、来たらぬ福や有るべき。真実なり甚深なり、是を信受すべし。
  愚人掌を合はせ膝を折って云はく、貴命肝に染み、教訓意を動かせり。然りと雖も上能兼下の理なれば、広きは狭きを括り多は少を兼ぬ。然る処に五字は少く文言は多し、首題は狭く八軸は広し。如何ぞ功徳斉等ならんや。聖人云はく、汝愚かなり。捨少取多の執須弥よりも高く、軽狭重広の情溟海よりも深し。今の文の初後は必ず多きが尊く、少なきが卑しきにあらざる事、前に示すが如し。爰に又小が大を兼ね、一が多に勝ると云ふ事之を談ぜん。彼の尼拘類樹の実は芥子三分が一のせいなり、されども五百輌の車を隠す徳あり。是小が大を含めるにあらずや。又如意宝珠は一つあれども万宝を雨して欠くる処之無し。是又少が多を兼ねたるにあらずや。世間のことわざにも一は万が母といへり。此等の道理を知らずや。所詮実相の理の背契を論ぜよ。強ちに多少を執する事なかれ。汝至って愚かなり、今一の譬へを仮らん。夫妙法蓮華経とは一切衆生の仏性なり。仏性とは法性なり。法性とは菩提なり。所謂釈迦・多宝・十方の諸仏、上行・無辺行等、普賢・文珠・舎利弗・目連等、大梵天王・釈提桓因・日月・明星・北斗七星・二十八宿・無量の諸星・天衆・地類・竜神八部・人天大会・閻魔法王、上は悲想の雲の上、下は那落の炎の底まで、所有一切衆生の備ふる所の仏性を妙法蓮華経とは名づくるなり。されば一遍此の首題を唱へ奉れば、一切衆生の仏性が皆よばれて爰に集まる時、我が身の法性の法報応の三身ともにひかれて顕はれ出づる、是を成仏とは申すなり。例せば篭の内にある鳥の鳴く時、空を飛ぶ衆鳥の同時に集まる、是を見て篭の内の鳥も出でんとするが如し。
  爰に愚人云はく、首題の功徳、妙法の義趣今聞く所詳らかなり。但し此の旨趣正しく経文に是をのせたりや如何。聖人云はく、
 

平成新編御書 ―406㌻―

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