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『聖愚問答抄㊤』


(★407㌻)
 其の理詳らかならん上は文を尋ぬるに及ばざるか。然れども請ひに随って之に示さん。法華経第八陀羅尼品に云はく「汝等但能く法華の名を受持せん者を擁護せんすら福量るべからず」と。此の文の意は仏、鬼子母神・十羅刹女の法華経の行者を守らんと誓ひ給ふを讃るとして、汝等法華の首題を持つ人を守るべしと誓ふ、其の功徳は三世了達の仏の知慧も尚及びがたしと説かれたり。仏智の及ばぬ事何かあるべき、なれども法華の題名受持の功徳ばかりは是を知らずと宣べたり。法華一部の功徳は只妙法等の五字の内に篭れり。一部八巻文々ごとに、二十八品生起かはれども首題の五字は同等なり。譬へば日本の二字の中に六十余州島二つ入らぬ国やあるべき、篭らぬ郡やあるべき。飛鳥とよべば空をかける者と知り、走獣といへば地をはしる者と心うる。一切名の大切なる事蓋し以て是くの如し。天台は名詮自性・句詮差別とも、名者大綱とも判ずる此の謂はれなり。又は名は物をめす徳あり、物は名に応ずる用あり。法華題名の功徳も亦以て是くの如し。
  愚人云はく、聖人の言の如くば実に首題の功莫大なり。但知ると知らざるとの不同あり。我は弓箭に携はり、兵杖をむねとして末だ仏法の真味を知らず。若し然れば得る所の功徳何ぞ其れ深からんや。聖人云はく、円頓の教理は初後全く不二にして初位に後位の徳あり。一行一切行にして功徳備はらざるは之無し。若し汝が言の如くば、功徳を知って植えずんば、上は等覚より下は名字に至るまで得益更にあるべからず。今の経は唯仏与仏と談ずるが故なり。譬喩品に云はく「汝舎利弗尚此の経に於ては信を以て入ることを得たり。況んや余の声聞をや」と。文の心は大智舎利弗も法華経には信を以て入る、其の智分の力にはあらず。況んや自余の声聞をやとなり。されば法華経に来たって信ぜしかば、永不成仏の名を削りて華光如来となり。嬰児に乳をふくむるに、其の味をしらずといへども自然に其の身を生長す。医師が病者に薬を与ふるに、病者薬の根源をしらずといへども服すれば任運と病愈ゆ。若し薬の源をしらずと云ひて、医師の与ふる薬を服せずば其の病愈ゆべしや。
 

平成新編御書 ―407㌻―

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