←次へ  TOPへ↑  前へ→  

『聖愚問答抄㊤』


(★408㌻)
 薬を知るも知らざるも服すれば病の愈ゆる事以て是同じ。既に仏を良医と号し法を良薬に譬へ衆生を病人に譬ふ。されば如来一代の教法を擣簁和合して妙法一粒の良薬に丸せり。豈知るも知らざるも服せん者煩悩の病ひ愈えざるべしや。病者は薬をもしらず病をも弁へずといへども服すれば必ず愈ゆ。行者も亦然なり。法理をもしらず煩悩をもしらずといへども、只信ずれば見思・塵沙・無明の三惑の病を同時に断じて、実報寂光の台にのぼり、本有三身の膚を磨かん事疑ひあるべからず。されば伝教大師云はく「能化所化倶に歴劫無く、妙法経力即身成仏す」と。法華経の法理を教へん師匠も、又習はん弟子も、久しからずして法華経の力をもて倶に仏になるべしと云ふ文なり。天台大師も法華経に付いて玄義・文句・止観の三十巻の釈を造り給ふ。妙楽大師は又釈籖・疏記・輔行の三十巻の末文を重ねて消釈す。天台六十巻とは是なり。玄義には、名体宗用教の五重玄を建立して妙法蓮華経の五字の功能を判釈す。五重玄を釈する中の宗の釈に云はく「綱維を提ぐるに目として動かざること無く、衣の一角を牽くに縷として来たらざること無きが如し」と。意は此の妙法蓮華経を信仰し奉る一行に、功徳として来たらざる事なく、善根として動かざる事なし。譬へば網の目無量なれども、一つの大綱を引くに動かざる目もなく、衣の糸筋巨多なれども、一角を取るに糸筋として来たらざることなきが如しと云ふ義なり。さて文句には、如是我聞より作礼而去まで文々句々に因縁・約教・本迹・観心の四種の釈を設けたり。次に止観には、妙解の上に立つる所の観不思議境の一念三千、是本覚の立行本具の理心なり、今爰に委しくせず。悦ばしいかな、生を五濁悪世に受くるといへども、一乗の真文を見聞する事を得たり。煕連恒沙の善根を致せる者、此の経にあひ奉りて信を取ると見えたり。汝今一念随喜の信を致す、函蓋相応・感応道交疑ひ無し。
  愚人頭を低れ手を挙げて云はく、我今よりは一実の経王を受持し、三界の独尊を本師として、今身より仏身に至るまで此の信心敢へて退転すること無けん。設ひ五逆の雲厚くとも、乞ふ、提婆達多が成仏を続ぎ、十悪の波あらくとも、
 

平成新編御書 ―408㌻―

provided by