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『善無畏三蔵抄』


(★440㌻)
 例せば、周の武王は父の形を木像に造りて、車にのせて戦の大将と定めて天感を蒙り、殷の紂王をうつ。舜王は父の眼の盲たるをなげきて涙をながし、手をもてのごひしかば本のごとく眼あきにけり。此の仏も又是くの如し、我等衆生の眼をば開仏知見とは開き給ひしか。いまだ他仏は開き給わず。三には、此の仏は裟婆世界の一切衆生の本師なり。此の仏は賢劫第九、人寿百歳の時、中天竺浄飯大王の御子、十九にして出家し、三十にして成道し、五十余年が間一代聖教を説き、八十にして御入滅、舎利を留めて一切衆生を正像末に救ひ給ふ。阿弥陀如来・薬師仏・大日等は、他土の仏にして此の世界の世尊にてはましまさず。此の裟婆世界は十方世界の中の最下の処、譬へば此の国土の中の獄門の如し。十方世界の中の十悪五逆・誹謗正法の重罪逆罪の者を諸仏如来擯出し給ひしを、釈迦如来此の土にあつめ給ふ。三悪並びに無間大城に堕ちて、其の苦をつぐのひて人中天上には生まれたれども、其の罪の余残ありてやゝもすれば正法を謗じ、智者を罵る罪つくりやすし。例せば身子は阿羅漢なれども瞋恚のけしきあり。畢陵は見思を断ぜしかども慢心の形みゆ。難陀は婬欲を断じても女人に交はる心あり。煩悩を断じたれども余残あり。何に況んや凡夫にをいてをや。
  されば釈迦如来の御名をば能忍と名づけて此の土に入り給ふに、一切衆生の誹謗をとがめずよく忍び給ふ故なり。此等の秘術は他仏のかけ給へるところなり。阿弥陀仏等の諸仏世尊悲願をおこさせ給ひて、心にははぢをおぼしめして、還って此の界にかよひ、四十八願・十二大願なんどは起こさせ給ふなるベし。観世音等の他土の菩薩も亦復是くの如し。仏には常平等の時は一切諸仏は差別なけれども、常差別の時は各々に十方世界に土をしめて有縁無縁を分かち給ふ。大通智勝仏の十六王子、十方に土をしめて一々に我が弟子を救ひ給ふ。其の中に釈迦如来は此の土に当たり給ふ。我等衆生も又生を裟婆世界に受けぬ。いかにも釈迦如来の教化をばはなるベからず。而りといへども人皆是を知らず。委く尋ねあきらめば、「唯我一人能為救護」と申して釈迦如来の御手を離るべからず。
 

平成新編御書 ―440㌻―

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