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『善無畏三蔵抄』


(★441㌻)
 而れば此の土の一切衆生生死を厭ひ、御本尊を崇めんとおぼしめさば、必ず先づ釈尊を木画の像に顕はして御本尊と定めさせ給ひて、其の後力おわしまさば、弥陀等の他仏にも及ぶべし。然るを当世聖行なき此の土の人々の仏をつくりかゝせ給ふに、先づ他仏をさきとするは、其の仏の御本意にも釈迦如来の御本意にも叶ふべからざる上、世間の礼儀にもはづれて候。されば優塡大王の赤栴檀いまだ他仏をばきざませ給はず、千塔王の画像も釈迦如来なり。而るを諸大乗経による人々、我が所依の経々を諸経に勝れたりと思ふ故に、教主釈尊をば次ざまにし給ふ。一切の真言師は大日経は諸経に勝れたりと思ふ故に、此の経に詮とする大日如来を我等が有縁の仏と思ひ、念仏者等は観経等を信ずる故に阿弥陀仏を娑婆有縁の仏と思ふ。当世はことに善導・法然等が邪義を正義と思ひて浄土の三部経を指南とする故に、十造る寺は八九は阿弥陀仏を本尊とす。在家出家一家十家百家千家にいたるまで持仏堂の仏は阿弥陀なり。其の外木画の像一家に千仏万仏まします。大旨は阿弥陀仏なり。而るに当世の智者とおぼしき人々、是を見てわざはひとは思はずして我が意に相叶ふ故に只称美讃歎の心のみあり。只、一向悪人にして因果の道理をも弁へず、一仏をも持たざる者は還って失なきへんもありぬべし。
  我等が父母世尊は主師親の三徳を備へて、一切の仏に擯出せられたる我等を「唯我一人能為救護」とはげませ給ふ。其の恩大海よりも深し、其の恩大地よりも厚し、其の恩虚空よりも広し。二つの眼をぬいて仏前に空の星の数備ふとも、身の皮を剥いで百千万天井にはるとも、涙を閼伽の水として千万億劫仏前に花を備ふとも、身の肉血を無量劫仏前に山の如く積み、大海の如く湛ふとも、此の仏の一分の御恩を報じ尽くしがたし。而るを当世の僻見の学者等、設ひ八万法蔵を極め、十二部経を暗んじ、大小の戒品を堅く持ち給ふ智者なりとも、此の道理に背かば悪道を免るべからずと思し食すべし。例せば善無畏三蔵は真言宗の元祖、烏萇奈国の大王仏種王の太子なり。教主釈尊は十九にして出家し給ひき。此の三蔵は十三にして位を捨て、月氏七十箇国九万里を歩き回りて諸経・
 

平成新編御書 ―441㌻―

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