←次へ  TOPへ↑  前へ→  

『開目抄㊤』


(★563㌻)
 竜女が成仏、此一人にはあらず、一切の女人の成仏をあらわす。法華経已前の諸の小乗経には、女人の成仏をゆるさず。諸の大乗経には、成仏往生をゆるすやうなれども、或は改転の成仏にして、一念三千の成仏にあらざれば、有名無実の成仏往生なり。挙一例諸と申して、竜女が成仏は、末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし。儒家の孝養は今生にかぎる。未来の父母を扶けざれば、外家の聖賢は有名無実なり。外道は過未をしれども父母を扶くる道なし。仏道こそ父母の後世を扶くれば聖賢の名はあるべけれ。しかれども法華経已前等の大小乗の経宗は、自身の得道猶かなひがたし。何に況んや父母をや。但文のみあって義なし。今、法華経の時こそ、女人成仏の時、悲母の成仏も顕はれ、達多の悪人成仏の時、慈父の成仏も顕はるれ。此の経は内典の孝経なり。二箇のいさめ了んぬ。
  已上五箇の鳳詔にをどろきて勧持品の弘経あり。明鏡の経文を出だして、当世の禅・律・念仏者、並びに諸檀那の謗法をしらしめん。日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ。此は魂魄佐土の国にいたりて、返る年の二月雪中にしるして、有縁の弟子へをくれば、をそろしくてをそろしからず。みん人、いかにをぢぬらむ。此は釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国、当世をうつし給ふ明鏡なり。かたみともみるべし。
  勧持品に云はく「唯願はくは慮ひしたまふべからず。仏滅度の後、恐怖悪世の中に於て、我等当に広く説くべし。諸の無智の人の、悪口罵詈等し、及び刀杖を加ふるもの有らん、我等皆当に忍ぶべし。悪世の中の比丘は、邪智にして心諂曲に、未だ得ざるを為れ得たりと謂ひ、我慢の心充満せん。或は阿練若に、納衣にして空閑に在って、自ら真の道を行ずと謂ひて、人間を軽賤する者有らん。利養に貪著するが故に、白衣の与に法を説いて、世に恭敬せらるゝことを為ること六通の羅漢の如くならん。是の人悪心を懐き、常に世俗の事を念ひ、名を阿練若に仮りて、好んで我等が過を出ださん○常に大衆の中に在って我等を毀らんと欲するが故に、国王・大臣・婆羅門・
 

平成新編御書 ―563㌻―

provided by