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『開目抄㊤』


(★577㌻)
  問うて云はく、念仏者・禅宗等を責めて、彼等にあだまれたる、いかなる利益かあるや。答へて云はく、涅槃経に云はく「若し善比丘、法を壊る者を見て、置いて、呵責し、駈遣し、挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し、呵責し、挙処せば、是我が弟子、真の声聞なり」等云云。涅槃の疏に云はく「仏法を壊乱するは、仏法の中の怨なり。慈無くして詐り親しむは、是れ彼が怨なり。能く糾治せん者は、是護法の声聞、真の我が弟子なり。彼が為に悪を除くは、即ち是彼が親なり。能く呵責する者は、是我が弟子。駈遣せざらん者は、仏法の中の怨なり」等云云。
  夫法華経の宝塔品を拝見するに、釈迦・多宝・十方分身の諸仏の来集はなに心ぞ「令法久住、故来至此」等云云。三仏の未来に法華経を弘めて、未来の一切の仏子にあたえんとおぼしめす御心の中をすいするに、父母の一子の大苦に値ふを見るよりも、強盛にこそみへたるを、法然いたわしともおもはで、末法には法華経の門を堅く閉じて、人を入れじとせき、狂児をたぼらかして宝をすてさするやうに、法華経を抛てさせける心こそ無慚に見へ候へ。我が父母を人の殺すに父母につげざるべしや。悪子の酔狂して父母を殺すをせいせざるべしや。悪人、寺塔に火を放たんに、せいせざるべしや。一子の重病を灸せざるべしや。日本の禅と念仏者とを見て、せいせざる者はかくのごとし。「慈無くして詐り親しむは、即ち是彼が怨なり」等云云。日蓮は日本国の諸人に主師父母なり。一切天台宗の人は、彼等が大怨敵なり。「彼が為に悪を除くは、即ち是彼が親」等云云。無道心の者、生死をはなるゝ事はなきなり。教主釈尊の一切の外道に大悪人と罵詈せられさせ給ひ、天台大師の南北並びに得一に「三寸の舌もて五尺の身をたつ」と、伝教大師の南京の諸人に「最澄未だ唐都を見ず」等といわれさせ給ひし、皆法華経のゆへなればはぢならず。愚人にほめられたるは第一のはぢなり。日蓮が御勘気をかほれば、天台・真言の法師等悦ばしくやをもうらん。かつはむざんなり。かつはきくわいなり。夫釈尊は裟婆に入り、羅什は秦に入り、
 

平成新編御書 ―577㌻―

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