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『祈祷抄』


(★629㌻)
 人にはいはざれども心の中には思ひしなり。此の心は四十余年より法華経の始まるまで失せず。而るを霊山八年の間に宝塔虚空に現じ、二仏日月の如く並び、諸仏大地に列なり大山をあつめたるがごとく、地涌千界の菩薩が虚空に星の如く列なり給ひて、諸仏の果分の功徳を吐き給ひしかば、宝蔵をかたぶけて貧人にあたうるがごとく、崑崙山のくづれたるににたりき。諸人此の玉をのみ拾ふが如く此の八箇年が間、珍しく貴き事心髄にもとをりしかば、諸菩薩身命も惜しまず言をはぐくまず、誓ひをなせし程に、嘱累品にして釈迦如来宝塔を出でさせ給ひて、とびらを押したて給ひしかば、諸仏は国々へ返り給ひき。諸の菩薩等も諸仏に随ひ奉りて返らせ給ひぬ。
  やうやく心ぼそくなりし程に「却後三月当に般涅槃すべし」と唱へさせ給ひし事こそ心ぼそく耳をどろかしかりしかば、二乗人天等ことごとく法華経を聴聞して仏の恩徳心肝にそみて、身命をも法華経の御ために投げて、仏に見せまいらせんと思ひしに、仏の仰せの如く若し涅槃せさせ給はゞ、いかにあさましからんと胸さはぎしてありし程に、仏の御年満八十と申せし二月十五日の寅卯の時、東天竺舎衛国倶尸那城跋提河の辺にして仏御入滅なるべき由の御音、上は有頂、横には三千大千界までひゞきたりしこそ、目もくれ心もきえはてぬれ。五天竺・十六の大国・五百の中国・十千の小国・無量の粟散国等の衆生、一人も衣食を調へず、上下をきらはず、牛馬・狼狗・鵰鷲・蚊虻等の五十二類の一類の数大地微塵をもつくしぬべし。況んや五十二類をや。此の類皆華香衣食をそなへて最後の供養とあてがひき。一切衆生の宝の橋をれなんとす、一切衆生の眼ぬけなんとす、一切衆生の父母・主君・師匠死なんとす、なんど申すこえひゞきしかば、身の毛のいよ立つのみならず涙を流す。なんだを流すのみならず、頭をたゝき胸ををさへ音も惜しまず叫びしかば、血の涙・血のあせ・倶尸那城に大雨よりもしげくふり、大河よりも多く流れたりき。是偏に法華経にして仏になりしかば、仏の恩の報じがたき故なり。
 

平成新編御書 ―629㌻―

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