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『観心本尊抄』


(★653㌻)
 法華経に云はく「具足の道を聞かんと欲す」等云云。涅槃経に云はく「薩とは具足に名づく」等云云。竜樹菩薩の云はく「薩とは六なり」等云云。無依無得大乗四論玄義記に云はく「沙とは訳して六と云ふ、胡の法には六を以て具足の義と為すなり」と。吉蔵の疏に云はく「沙とは翻じて具足と為す」と。天台大師の云はく「薩とは梵語なり此には妙と翻ず」等云云。私に会通を加へば本文を黷すが如し、爾りと雖も文の心は、釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ。四大声聞の領解に云はく「無上宝聚、不求自得」云云。我等が己心の声聞界なり。「我が如く等しくして異なること無し、我が昔の所願の如き今は已に満足しぬ。一切衆生を化して皆仏道に入らしむ」と。妙覚の釈尊は我等が血肉なり、因果の功徳は骨髄に非ずや。宝塔品に云はく「其れ能く此の経法を譲ること有らん者は、則ちこれ我及び多宝を供養するなり。乃至亦復諸の来たりたまへる化仏の諸の世界を荘厳し光飾したまふ者を供養するなり」等云云。釈迦・多宝・十方の諸仏は我が仏界なり、其の跡を継紹して其の功徳を受得す。「須臾も之を聞かば、即ち阿耨多羅三藐三菩提を究竟するを得」とは是なり。寿量品に云はく「然るに我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり」等云云。我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり。経に云はく「我本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、今猶未だ尽きず。復上の数に倍せり」等云云。我等が己心の菩薩等なり。地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属なり。例せば太公・周公旦等は周武の臣下、成王幼稚の眷属。武内の大臣は神功皇后の棟梁、仁徳王子の臣下なるが如し。上行・無辺行・浄行・安立行等は我等が己心の菩薩なり。妙楽大師云はく「当に知るべし身土は一念の三千なり。故に成道の時、此の本理に称ひて一身一念法界に遍し」等云云。
  夫始め寂滅道場・華蔵世界より沙羅林に終はるまで五十余年の間、華蔵・密厳・三変・四見等の三土四土は、
 

平成新編御書 ―653㌻―

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