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『観心本尊抄』


(★654㌻)
 皆成劫の上の無常の土に変化する所の方便・実報・寂光・安養・浄瑠璃・密厳等なり。能変の教主涅槃に入りぬれば、所変の諸仏随って滅尽す。土も又以て是くの如し。
  今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり。仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず、所化以て同体なり。此即ち己心の三千具足、三種の世間なり。迹門十四品には未だ之を説かず、法華経の内に於ても時機未熟の故か。
  此の本門の肝心、南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属したまはず、何に況んや其の已外をや。但地涌千界を召して八品を説いて之を付属したまふ。其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士上行等の四菩薩、文殊・弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処したまふ。迹仏迹土を表する故なり。是くの如き本尊は在世五十余年に之無し、八年の間但八品に限る。正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し、権大乗並びに涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す。此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか。
  問ふ、正像二千余年の間は四依の菩薩並びに人師等、余仏、小乗・権大乗・爾前・迹門の釈尊等の寺塔を建立すれども、本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由之を申す。此の事粗之を聞くと雖も前代未聞の故に耳目を驚動し心意を迷惑す。請ふ、重ねて之を説け、委細に之を聞かん。
  答へて曰く、法華経一部八卷二十八品、進んでは前四味、退いては涅槃経等の一代の諸経、総じて之を括るに但一経なり。始め寂滅道場より終はり般若経に至るまでは序分なり、無量義経・法華経・普賢経の十巻は正宗なり、
 

平成新編御書 ―654㌻―

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