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『諸法実相抄』


(★665㌻)
 伝教等は心には知り給へども言に出だし給ふまではなし、胸の中にしてくらし給へり。其れも道理なり、付嘱なきが故に、時のいまだいたらざる故に、仏の久遠の弟子にあらざる故に、地涌の菩薩の中の上首唱導上行・無辺行等の菩薩より外は、末法の始めの五百年に出現して法体の妙法蓮華経の五字を弘め給ふのみならず、宝塔の中の二仏並座の儀式を作り顕はすべき人なし。是即ち本門寿量品の事の一念三千の法門なるが故なり。されば釈迦・多宝の二仏と云ふも用の仏なり。妙法蓮華経こそ本仏にては御坐し候へ。経に云はく「如来秘密神通之力」是なり。如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし。凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり。然れば釈迦仏は我等衆生のためには主師親の三徳を備へ給ふと思ひしにさにては候はず、返って仏に三徳をかぶらせ奉るは凡夫なり。其の故は如来と云ふは天台の釈に「如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号なり」と判じ給へり。此の釈に本仏と云ふは凡夫なり、迹仏と云ふは仏なり。然れども迷悟の不同にして生仏異なるに依って、倶体倶用の三身と云ふ事をば衆生しらざるなり。さてこそ諸法と十界を挙げて実相とは説かれて候へ。実相と云ふは妙法蓮華経の異名なり。諸法は妙法蓮華経と云ふ事なり。地獄は地獄のすがたを見せたるが実の相なり、餓鬼と変ぜば地獄の実のすがたには非ず。仏は仏のすがた、凡夫は凡夫のすがた、万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり。天台云はく「実相の深理、本有の妙法蓮華経」云云。此の釈の意は実相の名言は迹門に主づけ、本有の妙法蓮華経と云ふは本門の上の法門なり。此の釈能く能く心中に案じさせ給へ候へ。  
  日蓮末法に生まれて上行菩薩の弘め給ふべき所の妙法を先立ちて粗ひろめ、つくりあらはし給ふべき本門寿量品の古仏たる釈迦仏、迹門宝塔品の時涌出し給ふ多宝仏、涌出品の時出現し給ふ地涌の菩薩等を先づ作り顕はし奉る事、予が分斉にはいみじき事なり。日蓮をこそにくむとも内証にはいかヾ及ばん。
 

平成新編御書 ―665㌻―

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