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『如説修行抄』


(★670㌻)
 
 №0140
     如説修行抄 文永一〇年五月   五二歳
 
  夫以れば末法流布の時、生を此の土に受け此の経を信ぜん人は、如来の在世より猶多怨嫉の難甚だしかるべしと見えて候なり。其の故は在世は能化の主は仏なり、弟子又大菩薩・阿羅漢なり。人天・四衆・八部・人非人等なりといへども、調機調養して法華経を聞かしめ給ふ、尚猶多怨嫉なり。何に況んや末法今時は教機時刻当来すといへども其の師を尋ぬれば凡師なり。弟子又闘諍堅固・白法隠没・三毒強盛の悪人等なり。故に善師をば遠離し悪師には親近す。其の上真実の法華経の如説修行の行者の弟子檀那とならんには三類の敵人決定せり。されば此の経を聴聞し始めん日より思ひ定むべし、況滅度後の大難の三類甚だしかるべしと。然るに我が弟子等の中にも兼ねて聴聞せしかども、大小の難来たる時は今始めて驚き肝をけして信心を破りぬ。又兼ねて申さゞりけるか、経文を先として猶多怨嫉況滅度後と朝夕教へし事は是なり。予が或は所を追はれ或は疵を蒙り、或は両度の御勘気を蒙りて遠国に流罪せらるゝを見聞すとも、今始めて驚くべきに非ざるものをや。
  問うて云はく、如説修行の行者は現世安穏なるべし、何が故ぞ三類の強敵盛んなるや。答へて云はく、釈尊は法華経の御為に今度九横の大難に値ひ給ふ。過去の不軽菩薩は法華経の故に杖木瓦石を蒙り、竺の道生は蘇山に流され、法道三蔵は面に火印をあてられ、師子尊者は頭をはねられ、天台大師は南三北七にあだまれ、伝教大師は六宗ににくまれ給へり。此等の仏・菩薩・大聖等は法華経の行者として而も大難にあひ給へり。此等の人々を如説修行の人と云はずんば、いづくにか如説修行の人を尋ねん。然るに今の世は闘諍堅固・白法隠没なる上、悪国・悪王・悪臣・悪民のみ有りて正法を背きて邪法・邪師を崇重すれば、国土に悪鬼乱れ入りて三災七難盛んに起これり。
 
 

平成新編御書 ―670㌻―

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