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『曾谷入道殿許御書』


(★777㌻)
 №0181
     曽谷入道殿許御書 文永一二年三月一〇日  五四歳
 
  夫以れば重病を療治するには良薬を構索し、逆・謗を救助するには要法には如かず。所謂時を論ずれば正・像・末、教を論ずれば小大・偏円・権実・顕密、国を論ずれば中辺の両国、機を論ずれば已逆と未逆と、已謗と未謗と、師を論ずれば凡師と聖師と、二乗と菩薩と、他方と此土と、迹化と本化となり。故に四依の菩薩等、滅後に出現し、仏の付嘱に随って妄りには経法を演説したまはず。所詮無智の者、未だ大法を謗ぜざるには忽ちに大法を与へざれ。悪人たる上已に実大を謗ずる者には強ひて之を説くべし。法華経第二の巻に、仏、舎利弗に対して云はく「無智の人の中にして此の経を説くこと莫れ」と。又第四の巻に薬王菩薩等の八万の大士に告げたまはく「此の経は是諸仏秘要の蔵なり、分布して妄りに人に授与すべからず」等云云。文の心は無智の者の而も未だ正法を謗らざれば、左右無く此の経を説くこと莫れ。法華経第七の巻不軽品に云はく「乃至遠く四衆を見ても亦復故に往いて」等云云。又云はく「四衆の中に瞋恚を生じ、心不浄なる者有り。悪口罵詈して言はく、是の無智の比丘、何れの所より来たりて」等云云。又云はく「或は杖木・瓦石を以て之を打擲す」等云云。第二・第四の巻の経文と第七の巻の経文と天地水火せり。
  問うて曰く、一経二説、何れの義に就いてか此の経を弘通すべき。答へて云はく、私に会通すべからず。霊山の聴衆たる天台大師並びに妙楽大師等処々に多くの釈有り。先づ一両の文を出ださん。文句の十に云はく「問うて曰く、釈迦は出世して蜘蹰して説かず。今は此何の意ぞ、造次にして説くは何ぞや。答へて曰く、本已に善有るには釈迦小を以て之を将護し、本未だ善有らざるには不軽大を以て之を強毒す」等云云。釈の心は寂滅・鹿野・
 

平成新編御書 ―777㌻―

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