←次へ  TOPへ↑  前へ→  

『法蓮抄』


(★809㌻)
 №0197
     法蓮抄 建治元年四月  五四歳
 
  夫以れば法華経第四の法師品に云はく「若し悪人有って不善の心を以て一劫の中に於て現に仏前に於て常に仏を毀罵せん、其の罪尚軽し。若し人一つの悪言を以て在家・出家の法華経を読誦する者を毀訾せん、其の罪甚だ重し」等云云。妙楽大師云はく「然も此の経の功高く理絶えたるに約して此の説を作すことを得。余経は然らず」等云云。此の経文の心は、一劫とは人寿八万歳ありしより百年に一歳をすて千年に十歳をすつ。此くの如く次第に減ずる程に人寿十歳になりぬ。此の十歳の時は当時の八十の翁のごとし。又人寿十歳より百年ありて十一歳となり、又百年ありて十二歳となり、乃至一千年あらば二十歳となるべし、乃至八万歳となる。此の一減一増を一劫とは申すなり。又種々の劫ありといへども且く此の劫を以て申すべし。此の一劫が間、身口意の三業より事おこりて仏をにくみたてまつる者あるべし。例せば提婆達多がごとし。仏は浄飯王の太子、提婆達多は斛飯王の子なり。兄弟の子息同じく仏の御いとこにてをはせしかども、今も昔も聖人も凡夫も人の中をたがへること女人よりして起こりたる第一のあだにてはんべるなり。釈迦如来は悉達太子としてをはしゝ時、提婆達多も同じ太子なり。耶輸大臣に女あり、耶輸多羅女となづく。五天竺第一の美女、四海名誉の天女なり。悉達と提婆と共に后にせん事をあらそひ給ひし故に中あしくならせ給ひぬ。後に悉達は出家して仏とならせ給ひ、提婆達多又須陀比丘を師として出家し給ひぬ。仏は二百五十戒を持ち、三千の威儀をとゝのへ給ひしかば、諸の天人これを渇仰し、四衆これを恭敬す。提婆達多を人たとまざりしかば、いかにしてか世間の名誉仏にすぎんとはげみしほどに、とかう案じいだして仏にすぎて世間にたとまれぬべき事五つあり。四分律に云はく、一には糞掃衣、二には常乞食、
 

平成新編御書 ―809㌻―

provided by