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『法蓮抄』


(★810㌻)
 三には一座食、四には常露座、五には塩及び五味を受けず等云云。仏は人の施す衣をうけさせ給う、提婆達多は糞掃衣。仏は人の施す食をうけ給ふ、提婆は只常乞食。仏は一日に一二三反も食せさせ給ふ、提婆は只一座食。仏は塚間樹下にも処し給ふ、提婆は日中常露座なり。仏は便宜にはしを復は五味を服し給ふ、提婆はしを等を服せず。かうありしかば世間、提婆の仏にすぐれたる事雲泥なり。かくのごとくして仏を失ひたてまつらんとうかゞひし程に、頻婆舍羅王は仏の檀那なり。日々に五百輌の車を数年が間一度もかゝさずおくりて、仏並びに御弟子等を供養し奉る。これをそねみとらんがために、未生怨太子をかたらって父頻婆舍羅王を殺させ、我は仏を殺さんとして或は石をもて仏を打ちたてまつるは身業なり。仏は誑惑の者と罵詈せしは口業なり。内心より宿世の怨とをもいしは意業なり。三業相応の大悪此にはすぐべからず。此の提婆達多ほどの大悪人、三業相応して一中劫が間、釈迦仏を罵詈打擲し嫉妬し候はん大罪はいくらほどか重く候べきや。此の大地は厚さは十六万八千由旬なり。されば四大海の水をも、九山の土石をも、三千の草木をも、一切衆生をも頂戴して候へども、落ちもせずかたぶかず、破れずして候ぞかし。しかれども提婆達多が身は既に五尺の人身なり。わづかに三逆罪に及びしかば大地破れて地獄に入りぬ。此の穴天竺にいまだ候。玄奘三蔵漢土より月支に修行して此をみる。西域記と申す文に載せられたり。而るに法華経の末代の行者を心にもをもはず、色にもそねまず、只たわぶれてのりて候が、上の提婆達多がごとく三業相応して一中劫、仏を罵詈し奉るにすぎて候ととかれて候。何に況んや当世の人の提婆達多がごとく三業相応しての大悪心をもて、多年が間法華経の行者を罵詈・毀辱・嫉妬・打擲・讒死・歿死に当てんをや。
  問うて云はく、末代の法華経の行者を怨める者は何なる地獄に堕つるや。答へて云はく、法華経の第二に云はく「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賤憎嫉して結恨を懐かん。乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん。
 

平成新編御書 ―810㌻―

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