←次へ  TOPへ↑  前へ→  

『妙一尼御前御消息』


(★832㌻)
 仏の御ためには一切衆生は皆子なり。其の中罪ふかくして世間の父母をころし、仏経のかたきとなる者は病子のごとし。しかるに阿闍世王は摩竭提国の主なり。我が大檀那たりし頻婆舎羅王をころし、我がてきとなりしかば、天もすてゝ日月に変いで、地も頂かじとふるひ、万民みな仏法にそむき、他国より摩竭提国をせむ。此等は偏に悪人提婆達多を師とせるゆへなり。結句は今日より悪瘡身に出でて、三月の七日無間地獄に堕つべし。これがかなしければ、我涅槃せんこと心にかゝるというなり。我阿闍世王をすくひなば、一切の罪人阿闍世王のごとしとなげかせ給ひき。
  しかるに聖霊は或は病子あり、或は女子あり。われすてゝ冥途にゆきなば、かれたる朽木のやうなるとしより尼が一人とゞまりて、此の子どもをいかに心ぐるしかるらんとなげかれぬらんとおぼゆ。かの心のかたがたには、又日蓮が事、心にかゝらせ給ひけん。仏語むなしからざれば法華経ひろまらせ給ふべし。それについては、此の御房はいかなる事もありていみじくならせ給ふべしとおぼしつらんに、いうかいなくながし失せしかば、いかにやいかにや法華経・十羅刹はとこそをもはれけんに、いまゝでだにもながらえ給ひたりしかば、日蓮がゆりて候ひし時、いかに悦ばせ給はん。又いゐし事むなしからずして、大蒙古国もよせて、国土もあやをしげになりて候へばいかに悦び給はん。これは凡夫の心なり。法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかずみず、冬の秋とかへれる事を。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となる事を。経文には「若有聞法者無一不成仏」ととかれて候。故聖霊は法華経に命をすてゝをはしき。わづかの身命をさゝえしところを、法華経のゆへにめされしは命をすつるにあらずや。彼の雪山童子の半偈のために身をすて、薬王菩薩の臂をやき給ひしは、彼は聖人なり、火に水を入るゝがごとし。此は凡夫なり、紙を火に入るゝがごとし。此をもって案ずるに、聖霊は此の功徳あり。大月輪の中か、大日輪の中か、天鏡をもって妻子の身を浮かべて、十二時に御らんあるらん。設ひ妻子は凡夫なれば此をみずきかず。譬へば耳しゐたる者の雷の声をきかず、
 

平成新編御書 ―832㌻―

provided by