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『三三藏祈雨事』


(★874㌻)
  日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず。而るに去ぬる文永五年の比、東には俘囚をこり、西には蒙古よりせめつかひつきぬ。日蓮案じて云はく、仏法を信ぜざればなり。定めて調伏をこなわれんずらん。調伏は又真言宗にてぞあらんずらん。月支・漢土・日本三箇国の間に且く月支はをく。漢土・日本の二国は真言宗にやぶらるべし。善無畏三蔵、漢土に亘りてありし時は、唐の玄宗の時なり。大旱魃ありしに祈雨の法ををほせつけられて候ひしに、大雨ふらせて上一人より下万民にいたるまで大いに悦びし程に、須臾ありて大風吹き来たりて国土をふきやぶりしかば、けをさめてありしなり。又、其の世に金剛智三蔵わたる。又雨の御いのりありしかば、七日が内に大雨下り、上のごとく悦んでありし程に前代未聞の大風吹きしかば、真言宗はをそろしき悪法なりとて月支へをわれしが、とかうしてとゞまりぬ。又、同じき御世に不空三蔵雨をいのりし程、三日が内に大雨下る。悦びさきのごとし。又大風吹きてさき二度よりもをびたゞし、数十日とゞまらず。不可思議の事にてありしなり。此は日本国の智者・愚者一人もしらぬ事なり。しらんとをもわば、日蓮が生きてある時くはしくたづねならへ。
  日本国には天長元年二月に大旱魃あり。弘法大師も神泉苑にして祈雨あるべきにてありし程に、守敏と申せし人すゝんで云はく、弘法は下臈なり我は上臈なり。まづをほせをかほるべしと申す。こうに随ひて守敏をこなう。七日と申すには大雨下る。しかれども京中計りにて田舎にふらず。弘法にをほせつけられてありしかば、七日にふらず、二七日にふらず、三七日にふらざりしかば、天子我といのりて雨をふらせ給ひき。而るを東寺の門人等、我が師の雨とがうす。くはしくは日記をひいて習ふべし。天下第一のわわくのあるなり。これより外に弘仁九年の春のへきれい、又三鈷なげたる事に不可思議の誑惑あり、口伝すべし。
  天台大師は陳の世に大旱魃あり、法華経をよみて須臾に雨下る。王臣かうべをかたぶけ、
 

平成新編御書 ―874㌻―

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