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『大学三郎殿御書』


(★885㌻)
 而るを天台の学者之に誑惑せられ悉く実義なりと思ひ「法華経は釈尊の所説にして民の万言の如く、大日経は天子の鳳文にして王の一言の如し」等云云。善無畏三蔵事を天竺に寄せ、法華経と大日経と理同事勝なりと。是一の謬言なり。日蓮、論師人師の添言を捨てゝ専ら経文を勘ふるに、大日経一部六巻並びに供養法の巻一巻三十一品之を見聞するに、声聞乗と縁覚乗と大乗の菩薩と仏乗のと四乗之を説く。其の中の大乗の菩薩乗とは三蔵教の三祇の菩薩乗なり。仏乗は実大乗なり。法華経に及ばざるの上、華厳・般若にも劣り但阿含と方等との二経なり。大日経の極理は未だ天台の別教・通教の極理にも及ばざるなり。
  弘法大師は延暦廿三年に入唐し、大同二年に帰朝す。三箇年の間恵果和尚に値ひて真言の秘教を学習し、帰朝の後十住心・二教論之を注して世間に流布す。釈迦牟尼仏並びに大日二仏の所説の勝劣之を定む。第一大日経・第二華厳経・第三法華経、浅きより深きに至る義なり。華厳経の法華経に勝るとは南北の二義を取るなり。又華厳宗の義なり。南北並びに弘法大師は無量義経・法華経・涅槃の三経を見ざる愚人なり。仏既に分明に華厳経と無量義経との勝劣之を説く。何ぞ聖言を捨てゝ南北の凡謬に付かんや。近きを以て遠きを察するに、将又大日経と法華経との勝劣之を知らず。大日経には四十余年の文之無く、又已今当の言之を削る。二乗作仏・久遠実成之無し。法華経と大日経との勝劣之を論ぜば、民と王と石と珠との勝劣高下是なり。而も安然和尚粗之を顕はす。然りと雖も粗華厳経と法華経との勝劣は之を明らむるに似たれども、法華・大日経の勝劣之に闇くして、闇と漆との如くなり。慈覚大師は本伝教大師に禀くると雖も本を捨てゝ末に付き、入唐の間、真言家の人々之を誑惑する間、又大日経と法華経と理同事勝と云云。賢きに似たれども但善無畏の僻見を出でざるのみ。
  而るに日蓮末代に居し粗此の義を疑ふ。遠きを尊み近きを賤しみ、死せるを上げ生けるを下す。故に当世の学者等之を用ひず。設ひ堅く三帰・五戒・十善戒・二百五十戒・五百戒・十無尽戒等の諸戒を持てる比丘、
 

平成新編御書 ―885㌻―

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