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『高橋入道殿御返事』


(★889㌻)
 又先度の御返事も申し候はぬ事はべちの子細も候はず。なに事にか各々をばへだてまいらせ候べき。あだをなす念仏者・禅宗・真言師等をも並びに国主等もたすけんがためにこそ申せ。かれ等のあだをなすはいよいよ不便にこそ候へ。まして一日も我がかたとて心よせなる人々はいかんがをろかなるべき。世間のをそろしさに妻子ある人々のとをざかるをばことに悦ぶ身なり。日蓮に付きてたすけやりたるかたわなき上、わづかの所領をも召さるゝならば、子細もしらぬ妻子所従等がいかになげかんずらんと心ぐるし。
  而も去年の二月に御勘気をゆりて、三月の十三日に佐渡の国を立ち、同月の二十六日にかまくらに入り、同じき四月の八日、平さえもの尉にあひたりし時、やうやうの事どもといし中に、蒙古国はいつよすべきと申せしかば、今年よすべし。それにとて日蓮はなして日本国にたすくべき者一人もなし。たすからんとをもわしたまうならば、日本国の念仏者と禅と律僧等の頚を切ってゆいのはまにかくべし。それも今はすぎぬ。但し皆人のをもひて候は、日蓮をば念仏師と禅と律をそしるとをもいて候。これは物のかずにてかずならず。真言宗と申す宗がうるわしき日本国の大いなる呪咀の悪法なり。弘法大師と慈覚大師、此の事にまどいて此の国を亡ぼさんとするなり。設ひ二年三年にやぶるべき国なりとも、真言師にいのらする程ならば、一年半年に此の国にせめらるべしと申しきかせ候ひき。
  たすけんがために申すを此程あだまるゝ事なれば、ゆりて候ひし時さどの国よりいかなる山中海辺にもまぎれ入るべかりしかども、此の事をいま一度平左衛門に申しきかせて、日本国にせめのこされん衆生をたすけんがためにのぼりて候ひき。又申しきかせ給ひし後はかまくらに有るべきならねば、足にまかせていでしほどに、便宜にて候ひしかば、設ひ各々はいとわせ給ふとも、今一度はみたてまつらんと千度をもひしかども、心に心をたゝかいてすぎ候ひき。そのゆへはするがの国は守殿の御領、ことにふじなんどは御家尼ごぜんの内の人々多し。
 

平成新編御書 ―889㌻―

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