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『高橋入道殿御返事』


(★890㌻)
 故最明寺殿・極楽寺殿の御かたきといきどをらせ給ふなれば、きゝつけられば各々の御なげきなるべしとをもひし心計りなり。いまにいたるまでも不便にをもひまいらせ候へば御返事までも申さず候ひき。この御房たちのゆきずりにも、あなかしこあなかしこ、ふじかじまのへんへ立ちよるべからずと申せども、いかゞ候らんとをぼつかなし。
  ただし真言の事ぞ御不審にわたらせ給ひ候らん。いかにと法門は申すとも御心へあらん事かたし。但眼前の事をもって知ろしめせ。隠岐の法皇は人王八十二代、神武よりは二千余年、天照太神入りかわらせ給ひて人王とならせ給ふ。いかなる者かてきすべき上、欽明より隠岐の法皇にいたるまで漢土・百済・新羅・高麗よりわたり来たる大法秘法を、叡山・東寺・園城・七寺並びに日本国にあがめをかれて候。此は皆国を守護し国主をまぼらんためなり。隠岐の法皇、世をかまくらにとられたる事を口をしとをぼして、叡山・東寺等の高僧等をかたらひて、義時が命をめしとれと行ぜしなり。此の事一年・二年ならず、数年調伏せしに、権の大夫殿はゆめゆめしろしめさゞりしかば一法も行じ給はず、又行ずとも叶ふべしともをぼへずありしに、天子いくさにまけさせ給ひて、隠岐の国へつかはされさせ給ふ。日本国の王となる人は天照太神の御魂の入りかわらせ給ふ王なり。先生の十善戒の力といひ、いかでか国中の万民の中にはかたぶくべき。設ひとがありとも、つみあるをやを失なき子のあだむにてこそ候ひぬらめ。設ひ親に重罪ありとも子の身として失に行はんに天うけ給ふべしや。しかるに隠岐の法皇のはぢにあはせ給ひしはいかなる大禍ぞ。此ひとへに法華経の怨敵たる日本国の真言師をかたらはせ給ひしゆへなり。
  一切の真言師は灌頂と申して釈迦仏等を八葉の蓮華にかきて此を足にふみて秘事とするなり。かゝる不思議の者ども諸山諸寺の別当とあをぎてもてなすゆへに、たみの手にわたりて現身にはぢにあひぬ。
 

平成新編御書 ―890㌻―

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