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『清澄寺大衆中』
(★948㌻)前
法華経の行者を守護し給はんと説かれたり。されば仏になる道は別のやうなし。過去の事、未来の事を申しあてゝ候がまことの法華経にては候なり。
日蓮はいまだつくしを見ず、えぞをしらず。一切経をもて勘へて候へばすでに値ひぬ。もししからば、各々不知恩の人なれば無間地獄に堕ち給ふべしと申し候はたがひ候べきか。今はよし、後をごらんぜよ。日本国は当時のゆき対馬のやうになり候はんずるなり。其の後、安房国にむこが寄せて責め候はん時、日蓮房の申せし事の合ふたりと申すは、偏執の法師等が口すくめて無間地獄に堕ちん事不便なり不便なり。
正月十一日 日 蓮 花押
安房国清澄寺大衆中
このふみは、さど殿とすけあさり御房と虚空蔵の御前にして大衆ごとによみきかきせ給へ。
平成新編御書 ―948㌻―
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