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『光日房御書』
(★961㌻)
故郷の人は設ひ心よせにおもはぬ物なれども、我が国の人といへばなつかしくてはんべるところに、此の御ふみを給びて、心もあらずしていそぎいそぎひらきてみ候へば、をとヽしの六月の八日に、いや四郎にをくれてとかゝれたり。御ふみもひろげつるまではうれしくて有りつるが、今、此のことばをよみてこそ、なにしにかいそぎひらきけん。うらしまが子のはこなれや、あけてくやしきものかな。
我が国の事は、うくつらくあたりし人のすへまでも、をろかならずをもうに、ことさら此の人は形も常の人にはすぎてみへし上、うちをもひたるけしきかたくなにもなしとみしかども、をりしも法華経のみざなれば、しらぬ人々あまたありしかば、言もかけずありしに、経はてさせ給ひて皆人も立ちかへる。此の人も立ちかへりしが、使ひを入れて申せしは、安房国のあまつと申すところの者にて候が、をさなくより御心ざしをもひまいらせて候上、母にて候人もをろかならず申し、なれなれしき申し事にて候へども、ひそかに申すべき事の候。さきざきまひりて次第になれまいらせてこそ、申し入るべきに候へども、ゆみやとる人にみやづかひてひま候はぬ上、事きうになり候ひぬる上は、をそれをかへりみず申すと、こまごまときこえしかば、なにとなく生国の人なる上、そのあたりの事は、はゞかるべきにあらずとて入れたてまつりて、こまごまとこしかたゆくすへかたりて、のちには世間無常なり、いつと申す事をしらず。其の上、武士に身をまかせたる身なり。又ちかく申しかけられて候事のがれがたし。さるにては後生こそをそろしく候へ、たすけさせ給へときこへしかば、経文をひいて申しきかす。彼のなげき申せしは、父はさてをき候ひぬ、やもめにて候はわをさしをきて、前に立ち候はん事こそ不孝にをぼへ候へ。もしやの事候ならば、御弟子に申しつたへて給び候へと、ねんごろにあつらへ候ひしが、そのたびは事ゆへなく候ひけれども、後にむなしくなる事のいできたりて候ひけるにや。
人間に生をうけたる人、上下につけてうれへなき人はなけれども、時にあたり、人々にしたがひて、
平成新編御書 ―961㌻―
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