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『妙密上人御消息』


(★965㌻)
 力を授くる故に、人中天上に生まれては威徳の人と成りて眷属多し。仏に成りては報身如来と顕はれて蓮華の台に居し、八月十五夜の月の晴天に出でたるが如し。色をます故に、人中天上に生まれては三十二相を具足して端正なる事華の如く、仏に成りては応身如来と顕はれて釈迦仏の如くなるべし。
  夫須弥山の始めを尋ぬれば一塵なり。大海の初めは一露なり。一を重ぬれば二となり、二を重ぬれば三、乃至十百千億阿僧祇の母は唯一なるべし。されば日本国には仏法の始まりし事は天神七代・地神五代の後、人王百代其の初めの王をば神武天皇と申す。神武より第三十代に当たりて欽明天皇の御宇に、百済国より経並びに教主釈尊の御影、僧尼等を渡す。用明天皇の太子の上宮と申せし人、仏法を読み初め、法華経を漢土よりとりよせさせ給ひて疏を作りて弘めさせ給ひき。それより後、人王三十七代孝徳天皇の御宇に、観勒僧正と申す人、新羅国より三論宗・成実宗を渡す。同じき御代に道昭と申す僧、漢土より法相宗・倶舎宗を渡す。同じき御代に審祥大徳、華厳宗を渡す。第四十四代元正天皇の御宇に、天竺の上人、大日経を渡す。第四十五代聖武天皇の御宇に、鑑真和尚と申せし人、漢土より日本国に律宗を渡せし次いでに、天台宗の玄義・文句・円頓止観、浄名疏等を渡す。然れども真言宗と法華宗との二宗をばいまだ弘め給はず。人王第五十代桓武天皇の御代に、最澄と申す小僧あり、後には伝教大師と号す。此の人、入唐已前に真言宗と天台宗の二宗の章疏を十五年が間但一人見置き給ひき。後に延暦二十三年七月に漢土に渡り、かへる年の六月に本朝に著かせ給ひて、天台・真言の二宗を七大寺の碩学数十人に授けさせ給ひき。其の後、今に四百年なり。総じて日本国に仏法渡りて今に七百年余年なり。或は弥陀の名号、或は大日の名号、或は釈迦の名号等をば、一切衆生に勧め給へる人々はおはすれども、いまだ法華経の題目南無妙法蓮華経と唱へよと勧めたる人なし。日本国に限らず、月氏等にも仏滅後一千年の間、迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親等の大論師、仏法を五天竺に弘通せしかども、漢土に仏法渡りて数百年の間、
 

平成新編御書 ―965㌻―

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