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『王舎城事』


(★976㌻)
 たゞし法華経のかたきになりぬれば、父母・国主の事をも用ひざるが孝養ともなり、国の恩を報ずるにて候。されば日蓮は此の経文を見候ひしかば、父母手をすりてせいせしかども、師にて候ひし人かんだうせしかども、鎌倉殿の御勘気を二度までかほり、すでに頚となりしかども、ついにをそれずして候へば、今は日本国の人々も道理かと申すへんもあるやらん。日本国に国主・父母・師匠の申す事を用ひずして、ついに天のたすけをかほる人は、日蓮より外は出だしがたくや候はんずらん。是より後も御覧あれ。日蓮をそしる法師原が、日本国を祈らば弥々国亡ぶべし。結句せめの重からん時、上一人より下万民までもとゞりをわかつやっことなり、ほぞをくうためしあるべし。後生はさてをきぬ、今生に法華経の敵となりし人をば、梵天・帝釈・日月・四天罰し給ひて皆人にみこりさせ給へと申しつけて候。日蓮法華経の行者にてあるなしは是にて御覧あるべし。
  かう申せば国主等は此の法師のをどすと思へるか。あへてにくみては申さず。大慈大悲の力、無間地獄の大苦を今生にけさしめんとなり。章安大師云はく「彼が為に悪を除くは即ち是彼が親なり」等云云。かう申すは国主の父母、一切衆生の師匠なり。事々多く候へども留め候ひぬ。又麦の白米一だ・はじかみ送り給び候ひ了んぬ。
  卯月十二日               日  蓮 花押
 四条金吾殿御返事
 

平成新編御書 ―976㌻―

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