←次へ  TOPへ↑  前へ→  

『報恩抄』


(★1019㌻)
 威音王仏の末法には改悔ありしすら猶千劫阿鼻地獄に堕つ。いかにいわうや、日本国の真言師・禅宗・念仏者等は一分の廻心なし。「如是展転、至無数劫」疑ひなきものか。かヽる謗法の国なれば天もすてぬ。天すつればふるき守護の善神もほこらをやひて寂光の都へかへり給ひぬ。但日蓮計り留まり居て告げ示せば、国主これをあだみ数百人の民に或は罵詈、或は悪口、或は杖木、或は刀剣、或は宅々ごとにせき、或は家々ごとにをう。それにかなはねば我と手をくだして二度まで流罪あり。去ぬる文永八年九月の十二日には頚を切らんとす。最勝王経に云はく「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、他方の怨賊来たって国人喪乱に遭ふ」等云云。大集経に云はく「若しは復諸の刹利国王諸の非法を作し、世尊の声聞の弟子を悩乱し、若しは以て毀罵し、刀杖もって打斫し、及び衣鉢種々の資具を奪ひ、若しは他の給施に留難を作す者有らば、我等彼をして自然に卒かに他方の怨敵を起こさしめん。及び自界の国土にも亦兵起こり、病疫飢饉し、非時に風雨し闘諍言訟せしめん。又其の王をして久しからずして復当に已が国を亡失せしむべし」等云云。此等の文のごときは日蓮この国になくば仏は大妄語の人、阿鼻地獄はいかで脱れ給ふべき。去ぬる文永八年九月十二日に、平左衛門並びに数百人に向かって云はく、日蓮は日本国のはしらなり。日蓮を失ふほどならば、日本国のはしらをたをすになりぬ等云云。此の経文に智人を国主等、若しは悪僧等がざんげんにより、若しは諸人の悪口によて失にあつるならば、にはかにいくさをこり、又大風ふかせ、他国よりせむべし等云云。去ぬる文永九年二月のどしいくさ、同じき十一年の四月の大風、同じき十月に大蒙古の来たりしは、偏に日蓮がゆへにあらずや。いわうや前よりこれをかんがへたり。誰の人か疑ふべき。
  弘法・慈覚・智証の誤り、並びに禅宗と念仏宗とのわざわいあいをこりて、逆風に大波をこり、大地震のかさなれるがごとし。さればやうやく国をとろう。太政入道が国ををさへ、承久に王位つきはてヽ世東にうつりしかども、但国中のみだれにて他国のせめはなかりき。彼は謗法の者は国に充満せりといへども、
 

平成新編御書 ―1019㌻―

provided by