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『報恩抄』


(★1021㌻)
 此の経文は予が肝に染みぬ。当世日本国には、我も法華経を信じたり信じたり、諸人の語のごときんば、一人も謗法の者なし。此の経文には、末法に謗法の者十方の地土、正法の者爪上の土等云云。経文と世間とは水火なり。世間の人の云はく、日本国には日蓮一人計り謗法の者等云云。又経文には天地せり。法滅尽経には善者は一・二人。涅槃経には信ずる者は爪上の土等云云。経文のごとくならば、日本国は但日蓮一人こそ爪上の土、一・二人にては候へ。経文をや用ふべき、世間をや用ふべき。
  問うて云はく、涅槃経の文には、涅槃経の行者は爪上の土等云云。汝が義には法華経等云云、如何。答へて云はく、涅槃経に云はく「法華の中の如し」等云云。妙楽大師云はく「大経自ら法華を指して極と為す」等云云。大経と申すは涅槃経なり。涅槃経には法華経を極と指して候なり。而るを涅槃宗の人の涅槃経を法華経に勝ると申せしは、主を所従といゐ下郎を上郎といゐし人なり。涅槃経をよむと申すは、法華経をよむを申すなり。譬へば賢人は国主を重んずる者をば、我をさぐれども悦ぶなり。涅槃経は法華経を下げて我をほむる人をば、あながちに敵とにくませ給ふ。
  此の例をもって知るべし。華厳経・観経・大日経等をよむ人も法華経を劣るとよむは、彼々の経々の心にはそむくべし。此をもって知るべし、法華経をよむ人の此の経をば信ずるやうなれども、諸経にても得道なるとをもうは、此の経をよまぬ人なり。例せば、嘉祥大師は、法華玄と申す文十巻を造りて法華経をほめしかども、妙楽かれをせめて云はく「毀其の中に在り、何んぞ弘讃と成さん」等云云。法華経をやぶる人なり。されば嘉祥は落ちて、天台につかひて法華経をよまず、我経をよむならば悪道まぬがれがたしとて、七年まで身を橋とし給ひき。慈恩大師は玄賛と申して法華経をほむる文十巻あり。伝教大師せめて云はく「法華経を讃むると雖も還って法華の心を死す」等云云。此等をもってをもうに、法華経をよみ讃歎する人々の中に無間地獄は多く有るなり。
 

平成新編御書 ―1021㌻―

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