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『報恩抄』


(★1037㌻)前
  「我が滅度の後、後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等をして其の便りを得せしむること無けん」等云云。此の経文若しむなしくなるならば舎利弗は華光如来とならじ、迦葉尊者は光明如来とならじ、目・は多摩羅跋栴檀香仏とならじ、阿難は山海慧自在通王仏とならじ、摩訶波闍波提比丘尼は一切衆生喜見仏とならじ、耶輸陀羅は具足千万光相仏とならじ。三千塵点も戯論、五百塵点も妄語となりて、恐らくは教主釈尊は無間地獄に堕ち、多宝仏は阿鼻の炎にむせび、十方の諸仏は八大地獄を栖とし、一切の菩薩は一百三十六の苦しみをうくべし。いかでかその義あるべき。其の義なくば日本国は一同の南無妙法蓮華経なり。されば花は根にかへり、真味は土にとヾまる。此の功徳は故道善房の聖霊の御身にあつまるべし。
 南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
    建治二年太歳丙子七月二十一日              之を記す
  甲州波木井の郷蓑歩の岳より安房国東条郡清澄山浄顕房・義城房の本へ奉送す。
 

平成新編御書 ―1037㌻―

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