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『教行証御書』


(★1109㌻)
 目安を上げて極楽寺に対して申すべし。某の師にて候者は去ぬる文永八年に御勘気を蒙り佐州へ遷され給ふて後、同じき文永十一年正月の比、御免許を蒙り鎌倉に帰る。其の後平金吾に対して様々の次第申し含ませ給ひて、甲斐国の深山に閉じ篭らせ給ひて後は、何なる主上女院の御意たりと云へども、山の内を出でて諸宗の学者に法門あるべからざる由仰せ候。随って其の弟子に若輩のものにて候へども、師の日蓮の法門九牛が一毛をも学び及ばず候といへども、法華経に付いて不審有りと仰せらるゝ人わたらせ給はゞ、存じ候なんど云ひて、其の後は随問而答の法門申すべし。又前六箇条一々の難問兼々申せしが如く、日蓮が弟子等は臆病にては叶ふべからず。彼々の経々と法華経と勝劣・浅深・成仏不成仏を判ぜん時、爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず。何に況んや其の以下の等覚の菩薩をや。まして権宗の者どもをや。法華経と申す大梵王の位にて、民とも下し鬼畜なんどと下しても、其の過ち有らんやと意得て宗論すべし。又彼の律宗の者どもが破戒なる事、山川の頽るゝよりも尚無戒なり。成仏までは思ひもよらず、人天の生を受くべしや。妙楽大師云はく「若し一戒を持てば人中に生ずることを得、若し一戒を破れば還って三途に堕す」と。其の外斎法経・正法念経等の制法、阿含経等の大小乗経の斎法斎戒、今程の律宗忍性が一党、誰か一戒をも持てる。還堕三途は疑ひ無し。若しは無間地獄にや落ちんずらん、不便なんど立てゝ、宝塔品の持戒行者と是を訇しるべし。
  其の後良有って、此の法華経の本門の肝心妙法蓮華経は、三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為り。此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや。但し此の具足の妙戒は一度持って後、行者破らんとすれども破れず。是を金剛宝器戒とや申しけんなんど立つべし。三世の諸仏は此の戒を持って、法身・報身・応身なんど何れも無始無終の仏に成らせ給ふ。此を「諸経の中に於て之を秘して伝へず」とは天台大師書き給へり。今末法当世の有智・無智・在家・出家・上下万人此の妙法蓮華経を持って説の如く修行せんに、豈仏果を得ざらんや。
 

平成新編御書 ―1109㌻―

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