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『実相寺御書』


(★1195㌻)後
 №0301
     実相寺御書   建治四年一月一六日  五七歳
 
  新春の御礼の中に云はく、駿河国実相寺の住侶尾張阿闍梨と申す者、玄義の四の巻に涅槃経を引いて、小乗を以て大乗を破し、大乗を以て小乗を破するは盲目の因なりと釈せらるゝの由申し候なるは実にて候やらん。
  反詰して云はく、小乗を以て大乗を破し、大乗を以て小乗を破するは盲目ならば、弘法大師・慈覚大師・智証等はされば盲目となり給ひたりけるか。善無畏・金剛智・不空等は盲目と成り給ふと殿はの給ふかとつめよ。玄義の四に云はく「問ふ、法華に麁を開するに麁をして皆妙に入る。涅槃は何の意ぞ更に次第の五行を明かすや。答ふ、法華は仏世の人の為に権を破して実に入る。復麁有ること無く教意整足す。涅槃は末代の凡夫の見思の病重く、一実を定執して方便を誹謗し、甘露を服すと雖も事に即して而も真なること能はず。命を傷ひ早夭するが為の故に、戒・定・慧を扶けて大涅槃を顕はす。法華の意を得る者は、涅槃に於て次第の行を用ひざるなり」と。籖の四に云はく「次に料簡の中、扶戒定慧と言ふは、事戒・事定・前三教の慧並びに事法を扶くるが為の故なり。具には止観の対治助開の中に説くが如し。今時の行者或は一向に理を尚ぶときは則ち己聖に均しと謂ひ、
 

平成新編御書 ―1195㌻―

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