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『四条金吾殿御書』


(★1197㌻)
 №0302
     四条金吾殿御書   建治四年一月二五日  五七歳
 
  鷹取のたけ・身延のたけ・なゝいたがれのたけ・いゝだにと申し、木のもと、かやのね、いわの上、土の上、いかにたづね候へどもをひて候ところなし。されば海にあらざればわかめなし、山にあらざればくさびらなし。法華経にあらざれば仏になる道なかりけるか。これはさてをき候ひぬ。なによりも承りてすゞしく候事は、いくばくの御にくまれの人の御出仕に、人かずにめしぐせられさせ給ひて、一日二日ならず、御ひまもなきよし、うれしさ申すばかりなし。えもんのたいうのをやに立ちあひて、上の御一言にてかへりてゆりたると、殿のすねんが間のにくまれ、去年のふゆはかうときゝしに、かへりて日々の御出仕の御とも、いかなる事ぞ。ひとへに天の御計らひ、法華経の御力にあらずや。其の上円教房の来たりて候ひしが申し候は、えまの四郎殿の御出仕に、御とものさぶらひ二十四五、其の中にしうはさてをきたてまつりぬ。ぬしのせいといひ、かを・たましひ・むま・下人までも、中務のさえもんのじゃう第一なり。あはれをとこやをとこやと、かまくらわらはべはつじぢにて申しあひて候ひしとかたり候。
  これにつけてもあまりにあやしく候。孔子は九思一言、周公旦は浴する時は三度にぎり、食する時は三度はかせ給ふ。古の賢人なり、今の人のかゞみなり。されば今度はことに身をつゝしませ給ふべし。よるはいかなる事ありとも、一人そとへ出でさせ給ふべからず。たとひ上の御めし有りとも、まづ下人をごそへつかわして、なひなひ一定をきゝさだめて、はらまきをきて、はちまきし、先後左右に人をたてゝ出仕し、御所のかたわらに心よせのやかたか、又我がやかたかに、ぬぎをきてまいらせ給ふべし。家へかへらんには、さきに人を入れて、
 

平成新編御書 ―1197㌻―

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