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『妙法比丘尼御返事』


(★1257㌻)
 たとひ何なる賢人聖人も人に生るゝならひは皆あかはだかなり。一生補処の菩薩すら尚はだかにて生まれ給へり。何に況んや其の外をや。然るに此の人は商那衣と申すいみじき衣にまとはれて生まれさせ給ひしが、此の衣は血もつかず、けがるゝ事もなし。譬へば池に蓮のをひ、をしの羽の水にぬれざるが如し。此の人次第に生長ありしかば、又此の衣次第に広く長くなる。冬はあつく、夏はうすく、春は青く、秋は白くなり候ひし程に、長者にてをはせしかば何事もともしからず。後には仏の記しをき給ひし事たがふ事なし。故に阿難尊者の御弟子とならせ給ひて御出家ありしかば、此の衣変じて五条・七条・九条等の御袈裟となり候ひき。かゝる不思議の候ひし故を仏の説かせ給ひしやうは、乃往過去阿僧祇劫の当初、此の人は商人にて有りしが、五百人の商人と共に大海に船を浮かべてあきなひをせし程に、海辺に重病の者あり。しかれども辟支仏と申して貴人なり。先業にてや有りけん、病にかゝりて身やつれ心をぼれ、不浄にまとはれてをはせしを、此の商人あはれみ奉りてねんごろに看病して生かしまいらせ、不浄をすゝぎすてゝ麁布の商那衣をきせまいらせてありしかば、此の聖人悦びて願して云はく、汝我を助けて身の恥を隠せり。此の衣を今生後生の衣とせんとて、やがて涅槃に入り給ひき。此の功徳によりて過去無量劫の間、人中天上に生まれ生まるゝ度ごとに、此の衣身に随ひて離るゝ事なし。乃至今生に釈迦如来の滅後第三の付嘱をうけて商那和修と申す聖人となり、摩突羅国の優留茶山と申す山に大伽藍を立てゝ、無量の衆生を教化して仏法を弘通し給ひし事二十年なり。所詮商那和修比丘の一切のたのしみ不思議は皆彼の衣より出生せりとこそ説かれて候へ。
  而るに日蓮は南閻浮提日本国と申す国の者なり。此の国は仏の世に出でさせ給ひし国よりは東に当たりて二十万余里の外、遥かなる海中の小島なり。而るに仏御入滅ありては既に二千二百二十七年なり。月氏漢土の人の此の国の人々を見候へば、此の国の人の伊豆の大島・奥州の東のえぞなんどを見るやうにこそ候らめ。
 

平成新編御書 ―1257㌻―

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